暑い毎日、夏ですねー。
夏になると、前は毎年あせも(軽度のアトピー)でかゆくて参っていて、ある夏の昼間は冷房がキンキンに効いたところで避難しているしかなかったのですが、骨法という療法でよくなり、快適に過ごせるようになりました。他にもいろいろ体の不調で悩んできましたが、これは治らないだろうというようなものもよくなり、何でも起こり得るのだから簡単にあきらめたり可能性を排除したりしないのが大事だなぁと、昨日改めて思いました。
「可能性としては何でもあり得る」という意識が大事です。
ネガティブに捉えるしかなさそうな事柄に、進化・成長のヒントがあります。
たとえば、体のどこかが痛い、しんどい、重たい、苦しい…これは一見ネガティブな事柄に思えますが、それは自分にとって必要な何かを教えてくれているサインだったりします。こういうサインだっんだ、とわかると、その一見ネガティブに見えていた事柄は、ありがたいお知らせに思えてきます。ぼくのかゆみの例で言うと、体に合わない化学物質を摂取しすぎていたのが原因で、すでに取り入れてしまったものをある程度排出し、新たに食品の添加物や農薬を避けることで症状が出なくなりました。今でも夏に農薬を使用した果物などを食べるとひじやひざの裏などが痒くなるので食べないようにしています。もし皮膚がかゆみでサインを出してくれていなかったら、好き放題食べまくって、消化器官に負担をかけて体が大きなダメージを受けていたでしょう。
一見ネガティブにしか思えない出来事や体験というのは、その捉え方やその出来事・体験の中に入り込んでしまって、それが自分に示してくれているサインに気づきにくいものですが、そういう出来事・体験の中にこそインスピレーションの源泉があります。それが自分にどんなレッスンや学びをもたらそうとしているのか、すぐにはわからなくても、自分は無慈悲にひどいめにあっているわけではなく、何か大事な学びを得るためにここを通過している最中なのだと思おうとしてみるだけでも、新たな視点が得られやすくなります。すぐにわからないことは今わからなくてもいいんだ、という潔さも助けになります。どうせわかることです。完璧でなくても、完全でなくてもいいのです。自分にやさしく、自分にもっと愛を注いでみることで、いろいろ見えてくることがあります。