他人からコントロールされないために(その3)

他人からコントロールされないための心がけシリーズその3。

こういう話は、ネガティブなエネルギーやジャッジのエネルギーを引き出しがちなのであまり書いてきませんでしたが、大小のコントロールがあふれかえるこの世界でサバイブし自分の変容を起こしていくうえでご参考になる話もあるかもしれないと思い、書いています。

大小のコントロールの「大」でいうと、「あいつを俺の思うままに操ってやる」といういわゆる悪を自認している場合もあれば、「小」でいうと、「あの人、もっとこうしてくれたらいいのにな」というのも、コントロールの糸を引っ張るとまではいかなくても、こうした小さな「期待」にも「コントロール」のエネルギーが伴いがちです。

いきなりコントロールをゼロにするのは難しくても、こんなところにも小さなコントロールが潜んでいた、と気づくことが変容の入口になります。誰かをコントロールしたところで自分の自由は得られません。誰かや何かに対するコントロールを手放していくことで、本当の自由を得ていくことができます。

自分で自分に強いる、というコントロールもあります。自分が自分や他人に使っているコントロールのエネルギーを手放すことで、他人によるコントロールにも気づきやすくなります。自分が当たり前にもっていて当たり前に使っているものは、他人がもっていて使っていてもナチュラルに見えやすいものです。

さて、「その2」で書いた、他人を意識的にコントロールする側の方法として、相手がそのコントロールから逃れにくい環境を整えていく、という話の続きです。

前回は、何かを前もって与えることで恩を売って、そのコントロールから抜け出したいと思っても抜け出しにくい心理状態をつくるという話を書きました。その応用編や変化球、発展型などはいろいろ考えられます。

物やサービスを与える以外にも、言葉によって相手を褒め、相手の自尊心を満たし、「この人はわかってくれる」「この人についていきたい」と思わせる場合もあるでしょう。自尊心や自己価値感が低く、他人にあまり褒められない、褒められたことがない、他人の評価で自分の評価を決めてしまいやすい、といった場合、この方法は効き目を発揮しやすいでしょう。相手の美点について言及することは慎むべきこととは思いませんが、相手をコントロールするためにそうした褒め言葉を発しているのではないかと見極めることは、相手との付き合い方を見極めるうえで重要です。これも「大」「小」あります。相手をとにかく褒めまくっておくことで相手からも好意が返ってくるだろう、良好な関係が築けるだろう、と考える人もいるでしょう。そこにもわずかなコントロールの意識が潜んでいるかもしれません。これは「小」の事例です。

相手がそのコントロールから逃れにくい環境を整えていく方法としては、相手の判断能力を奪う、というのも常套手段です。いろんな人と会わせないようにしたり、情報を遮断したり、褒めるのとは逆に侮辱して相手の自尊心を傷つけたり混乱させたり、相手を忙しい状況や苦しい状況に陥らせて体力的・精神的に衰えさせたり。何かがおかしい、とちらっと思ったり、コントロール下から抜け出したいと思ったりしても、正常な判断ができない状態になっていくわけです。

他人のコントロールから抜け出すには、早めに手を打つことが重要です。義理人情や罪悪感などをひとまず脇においたり捨て去ったりする勇気が必要です。他人をコントロールし続けて本当の幸せを得られることはありません。コントロールから抜け出すことは、結局は自分のためにも相手のためにもなります。自分を守ることが相手を守ることにもなります。

ぼくの人生にとって「自由」というのが一つの大きなテーマです。「自由」と「コントロール」は相容れません。自分の中に残っているコントロールを見つけ、手放していくことが、さらなる自由への入口になっています。