日常の手を止めて、祈りの時間をとることも大事。
だけど、日常すべてを祈りにできればどれほどいいだろう。
祈りとは、自分が望むこと、望むビジョン、望む現実に集中的にフォーカスすることだとも言える。
日常を生きながら、常に自分が望む周波数にフォーカスし続けることができれば、四六時中祈りを捧げるのと同じことになる。
自分のエネルギーに自分で責任をもつことだとも言える。「責任をもつ」意識がなくても、自分が与えたものを自分が受け取っている。「祈り人」という言葉が浮かんできたが、それは自分のエネルギーを意識的に使っている人のことを言うのだろう。誰かや何かに手を合わせて祈る人だけではなく、自分の人生に責任をもち、自分のエネルギーを意識的に使い続ける人は一種の「祈り人」とも言える。
