誰にでも椅子が用意されている

取り合い、奪い合いしなくても、一人一人が本質の自分に一致していけば、宇宙には何一つ足りないものはない、ということがなんとなくわかってきた、と車を運転しながら思った。

自分がずれると、それに合わせて周りもずれやすくなる。ずれた周りに渋々合わせていたら自分もずれていく。自分が本質の自分に一致することは、わがままではなく、結果的に、他人に対する本質的な貢献にもなる。わがままというのはエゴの自分に一致するということ。その見分け方は、練習が必要なようだけど、そういう視点をもっているだけで捉え方が違ってくる。ぼくは迷ったらボイジャーにきく😁💫

椅子取りゲームのように椅子を取り合わなくても、全員分の椅子が本来ちゃんと用意されてるんだよ、と思うと、安心する💎 自分の椅子を見つけてそこに座っていればいいだけ。本来、一番簡単で楽ちんなことのはず🎁🐬

頑張らないと成果が得られないという固定観念も、もう完全に手放そう。現実化のスピードが早くなっていて、頑張りだすと急に上手くいかなくなるからわかりやすい。頑張る生き方はもう十分やり切った感がある。頑張ってるとなぜか安心したりするんだけど、その安心感に惑わされやすい。その安心感を得るには、ずっと頑張りつづけないといけない。今の自分では不十分だという不足感や不安感がベースになっているから、そこに基づいて行動していったところで、いつまでたっても不足感や不安感は消えない。

今の自分をすべて受け入れ、今の現状をすべて受け入れる。だからといって、現状に甘んじて進化が止まるわけではない。受け入れ、今既に「ある」ものに意識を向け、それに感謝し、満たされることで、次のポジティブなステップやビジョンが見えてくる🌟 無いものねだりよりも、あるもの探し。何に意識を向けるかは、刷り込まれたり長年積み重ねてきた習慣によるところが大きいので、エスカレーターで右に立つか左に立つかの違いのようなもので、習慣が変化するまで毎回意識的に切り替えていけば、誰だって切り替えられる。不足に満ちたように見える世界を満たされた世界に切り替えるのは一見難しいように見えるけれど、「不足感」という周波数を使うか使わないか、だけの話なので、本来、夏服から冬服に着替えるくらいに単純で簡単なことなはず🌟💫