他人からコントロールされないために(その1)

他人にコントロールされない自分でいるための心がけその1。

「この人についていけば大丈夫」「この人についていけば成功するだろう」「この人についていけばチャンスをもらえるだろう」「この人についていけばいざという時は助けてもらえるだろう」という思い込みについてよく考えてみること。

誰かが自分の助けになってくれる、ということはあるわけですが、誰かが自分を変えてくれるわけではありません。自分を変えるのは自分です。他人が自分の写し鏡になって、自分の変化を加速させてくれたり導いてくれたりすることはあっても、自分の力を放棄してしまえば、自分の変化の舵取りを自分でおこなえなくなってしまいます。

意識的に他人をコントロールしようとする人は、他人の無価値感や不足感、甘えにつけいるものです。

自分で自分を満たしていれば、他人によるコントロールから自分を守ることになります。

他人からの助けをつっぱねるべきだ、と言っているわけではありません。他人が自分に与えようと手を出しているその意図を見極めることが、自分を守ることになります。自分が何かを得ようとして与えているのか、与えることを喜びとして与えているのか。与えた相手から何倍も受け取ろうとして与える行為は、本当に与えていることにはならず、エネルギー的には奪おうとしていることになります。実は奪おうとして与えられようとしている何かを受け取ることを拒否することは、自分のためにも相手のためにもなります。現実は自分の写し鏡です。相手から奪ったところで、自分も奪われるという体験をすることになります(奪われている体験には見えないかもしれませんが、自分の不十分さをますます体験することになります)。他人をコントロールしようとするのは、自分だけでは自分は満たされないと思っているからです。自分で自分を満たせることに気づき、満たされていけば、他人をコントロールする必要がなくなってきます。他人をいくらコントロールしたところで自分が本当に満たされることはないのだとわかります。

日常の小さなコントロールを手放していくことで、日に日に自由になっていくことができます。自由とは何かを得てようやく得られるものではなく、自由を得ようとして躍起になって何かをつかもうとしているその手を緩めていくことで得られるものです。