タマネギ瞑想

家事は瞑想の時間とかって言われることがあるけど、ほんとにそうだなぁと思います。

タマネギを切りながら、タマネギ瞑想。タマネギを切っている今に集中します🧅🧅 思考を過去とか未来に漂わせない。思考をなるべく無にして、🧅を切っている今に集中💎

包丁に光が差して、青白く輝いています。光を反射したクリスタルみたい。この「きれいだなぁ」という感覚は、クリスタルがなくても同じように味わえます。結局は、体感。何を媒介にして何を感じるか。

いつも先のことを考えていると、永遠に今は来ません。タマネギ切っているのはスープをつくるためで、今はそのために必要な面倒な作業、手間のかかるプロセスだと思いつつタマネギを切り、さて、スープができたら、今度はスープを飲みながら次にすることを考え、食べ終わって次のことをしながら別のことが気になり…とやっていたら、いつまで経っても今という時間を味わうことができません。

今何を考えるか、感じるか、どんな気持ちでいるか、どこに焦点を当てるかが、未来の現実をつくります。未来の現実をつくるのは「今」。現実として目の前に現れた時点で、それは過去に放った(使った)自分の思考や感情が結晶化したものであり、目の前の現実が、ただ、それを知らせて(見せて)くれます。そして、次にどんな現実をつくっていくかを決めるのは、今、自分がどう在るか。

ガンバリズムで生きていた20代の頃、ある時、こんなにがんばって、目標を決めていろいろ努力してるけど、その目的地にたどりついたらまた次の目標があって、これは永遠に続くんだなぁ…そしたら、定めたゴールに向かうまでは一つのプロセスだとしても、そのゴールはまた次のゴールに続いていて、大きな視点で見たら永遠にプロセスなんだなぁ…と思ったことがありました。

そんな話をある方にしたら、「プロセスを大事にするってことだね」とすごく簡単にまとめられ、たしかにそうだけど、なんだか違うような気もするけどどう違うかそのときはよくわからなかったんだけど、さっきこのことを思い出して、どういうことかわかりました。

プロセスはもちろん大事なんだけど、ゴールありきのプロセスだと捉えるのではなくて、結局、全部がプロセス。「今」の連続でしかない。だから、今をどう生きるか。どう在るか。どこ(何)に焦点を当てるか。今やっていることはプロセスに過ぎないと思っていると、意識は未来に飛んでいき、今はまだ満たされていない、完了していない、足りていない、不完全だと思ってしまう。

今は今でこれで完全。人間が永遠に進化、成長、拡大、発展していく存在だとしたら、これで完了、完璧、パーフェクト、「あがり」、という状態は永遠に来ない。永遠に変化しつづける存在として、自分の意思で自分の変化の在り方や道筋に関与できるのは、この今という瞬間だけ。その今をどれだけ意識的に過ごすか。といっても力まずにリラックスしながら。過去を悔やんだり過去の出来事をなんとなくなぞって追体験したり、未来にそうなってほしいけどそうならなかったらどうしよう、そうなるだろうかと不安や心配や疑いをもって未来を眺めたりするのではなく、いかに今を充実させるか。今を喜びや安心感で満たしていく。

意識の使い方は、習慣によるところも大きいように思います。過去のことを考えていることが多いか、未来のことを考えていることが多いか、人それぞれです。何がいい、わるいではなく、どういうふうに意識を使うかは、自分次第で、自分の意思で変化させていくことが可能💎 日々、自分の意識の使い方を観察しているといろんな発見があります🌟💫