「誰かに言われたから」「誰かが言ってたから」のその先へ

何か行動したり、自分の在り方を調整していく際に、「誰々に言われたから」「こうするといいらしいから」で終わるのか、もう一歩先まで進むのかで、自分の変化の速度とスムーズさが違ってくる。

自分にしっくりくるか、腑に落ちているか、落とせているか。
自分の内側を、ゆっくり落ち着いて観察する。
安心できる環境で。

誰かに言われたこと、誰かが言ってくれたことは、
とても参考になるし、役立てていける。
それをどう自分が使うか。
誰かの意見として終わらせるのか、
誰かからのアドバイスとして終わらせるのか。
それを聞いて確かにそうだと、自分の中で確かに響いた指針として
活用して行くのか。

自分の中で確かに響いた感覚に落とし込めれば、
誰に言われたかは関係なくなる。

言った本人が忘れていようと、「あれは嘘ですよ~」と言われようと。
自分を信じて進んでいける。
誰に言われたかは関係ない。
自分がそれを取り入れたいかどうか。
取り入れることを選択するかどうか。
それを決めるのは自分次第。

言うのは簡単
信じるのも簡単
自分に落とし込んで行動して行くのも実は簡単。
難しくしているのは自分の中のブロック。
それに気づいて取り除いていく。

見える景色が違ってくる。
誰かに言われたことが響くか響かないかの感覚も違ってくる。

頭で考えるのではなく、エネルギーでキャッチする。
自分に必要なものなのか、そうでないかを。

一流のシェフの料理であっても、
出された料理を全て平らげる必要はない。
好きなメニューだけを選べばいい。
にんじんが好きでなければ。にんじんのポタージュはノーサンキュー。
デザートだけ食べたい日もある。
いっぱい出されても、全部は食べきれない。
食べたい順番もある。

一流のシェフと言えども、自分のすべてを知ってくれているわけではない。
自分の好みやアレルギーまでは知らないかもしれない。
お腹の減り具合までは伝わっていない。
これでよかろうと思った料理をどんどん提供してくれる。
その中から選ぶのは自分自身。
食べるかどうかを最終決定するのは自分自身。
楽しく食べて、自分の体や心の栄養にして行けるかどうかは
自分の食べ方にかかっている。

情報も同じ。

シェフはひとりだけではない。
迷ってばかりいると何も食べられない。
惹かれてしっくりきたら、ちょっとつまんでみる。
そして、体や心の声を聞いてみる。
いまいちだと感じたら、それがどんなに世間で評価されているシェフであろうと、
自分に合わなかったというだけのこと。
体がおかしいのだろうか? もっと食べてから考えてみよう
とするのも自由だし、
早めに切り上げて、ほかの料理やほかのシェフの料理を
食べてみようとするのも自由。

自分の感覚を信じられるかどうか。
自分の感覚を道しるべに色々実験してみる。

自分の感覚をもっと信じられるようになってくる。

言い古されているように、
答えは自分の中にある。

正解かどうかは誰か他人が判断するものではない。

自分にとっての正解を探し続ける。

それは変化し続ける。

だけど今の自分
今の自分にとっての正解であれば、ひとまずそれでいい。
正解を見つけることだけがゴールではない。
究極の正解、自分にとっての真実に向かって進んでいく。
その旅路に意味がある。