マルハラスメント(マルハラ)について

「マルハラ」という言葉を最近はじめて聞きました

LINEなどでメッセージをやりとりする際

文がまる(。)で終わると若者世代は

こわく感じる 怒ってるように感じる

という話です

この投稿もマル無しで書いてみています

ブログの投稿はまた別だと思いますが 実験的に

書き言葉に関心がある自分としては

こういう話は興味わきます

ぼくはスマホを使っていないので

LINEを使うときもパソコンなので

テンポよくポンポンやりとりするようなことはないので

なるべくターンが少なくて済むように書くので

一回のメッセージが長くなりがちで

若者世代からするとおじさんLINE的な感じに見えるかもしれません

テキストでの表現って

声で伝えるときのように声の調子やイントネーションで

感情を伝えられないので

テキスト独自の工夫が生まれてくるわけですね

それで点や丸を打ったり

絵文字や顔文字を使ったり

するわけですね

返信のスピードからもなんらかのメッセージが伝わるし

句読点打たずにこういう文章を書いてみると

ちょっとロボットっぽい無機質な感じがするように思えてきましたが

どんなもんでしょう

いつもだったらここで絵文字を入れたいと思うところでも

絵文字を入れず 句読点も入れず 書いてみています

ある程度の長さの文章だと

そのときの気分とか伝わってくると思いますが

短い文章だと わかりづらいでしょうね

誰かに何かを伝えたときに

単に

わかりました

とか

怒ってるのかな? ただ了解の意味なのかな?

とか

LINEでの句読点なしの短い文のやりとりって

連続してやりとりするのが多分前提なんでしょうね

ぼくは短文のメッセージで連続してやりとりするのが

昔から好きじゃないので

それだったら電話します

だらだら時間かかるし

他のことしてるときにメッセージが続いているのは

気が散るしで

おじさん世代はそういう感覚かもしれません

おじさん世代とか 若者世代とか

便宜的にそういう表現使いましたが

人にもよりますね

自分が心地よいのはどういう使い方なのか

把握して 実践していくのみかと思います

あとは

相手に余計な誤解を招かないように

工夫するのも大事でしょう

句読点をつけたら恐がられるらしいぞ ということで

今までの文体から急に句読点だけ除いても

いい結果になるとは限りません

お互いを理解しようとする姿勢も大事なのでしょう

この人 自分のスタイルとは違う

って排除するのではなく

無理して寄り添う必要はありませんが

思いやり や 配慮 は

どんなときでも

相手のためにも 自分のためにも なります