昨年末、友人の友人のお姉さんの娘さん(小学生)がうちに来てくれたときにそろばんの腕前(暗算)を披露してくれた。二桁の数字を10個くらい、高速で読み上げられたのを聞き取って暗算で足し算し、正解を出す姿を見て感嘆した。
人間には本来、こういう能力があるのに、ほとんどの人は眠らせたままにしてしまっている(ひと昔前は、「読み書き、そろばん」と言ったくらいで、子どもの頃から教え込まれてできるようになっていたのだろうけれど)。今は電卓やコンピュータがあるんだから、そろばんなんてできなくても、そんな暇があればコンピュータの高度な使い方や今風の技術を身に付けた方がいい、と考える人もいるだろうけれど、計算は人間の基本的な能力で、コンピュータに頼らずに自分の頭でできたほうがいいように思う。
そろばん(特に暗算)は、大人になってからではなかなか難しいと言われているようだ。そう言われると、「そんなはずはない」と、余計に燃えてくる。毎日することが山のようにあるのに、これ以上増やしたら大変だと思い、そろばんはもっと暇になってから始めようと思っていたが、あれ以来、事あるごとにそろばんのことを思い出し、そんなに気になるんだったら、やる気があるときに始めてしまったほうがいいと思い、ヤフオクで昔のそろばんに入札した(最近の安価なそろばんは、プラスチック玉のものが多いが、ヤフオクで探すとひと昔前の木製のそろばんが同じくらいの値段である)。
「そろばん」の起源が気になってネットで調べてみると、Wikipediaによると、「諸説あるが、アステカ起源説、、アラブ起源説、バビロニア起源説、中国起源説などがある」とのことで、とにかく大昔からあったらしい。日本でそろばんが民衆に広まったのは、豊臣秀吉に仕えていた毛利重能(しげよし)が明での留学から帰った後、京都で塾を開き、そろばんを教え始めてからのことらしい。Wikipediaには、「そろばんは計算で紙を浪費することがないため、紙が高価で貴重な時代は重宝された」ともあり、なるほど、と思った。たしかに、家の中にいて、紙も電卓もなくて、難しい計算をしたければ外に出て土に木の棒で筆算を書くことになるだろうと思った。そろばんは電力を使わないし、暗算ができるようになれば、自分の頭さえあればそろばんすら必要なくなる。それに、いくら電卓があるといっても、電卓で数字を叩くよりも暗算で計算できたほうが速い。計算の競技において、人間の暗算のほうが計算機械よりも速く計算した、という記録も複数あるらしい。
とにかく、人間が自分の頭を使うことを放棄してコンピュータに能力をゆだねる、ということが嫌いなので、初歩的なところから、眠らせていた頭に活を入れることにした。
そろばんのことを考えていると、筆算を暗算でするときも、大きな位から計算したほうがしやすいことに気付いた。例えば、
687+543=?
今までは、1の位から順に計算して繰り上げていたが、100の位から計算したほうが、合計の数値が頭に残りやすい。6足す5で11。10の位が繰り上がるので122・・・1の位で再び繰り上がるので123・・・一の位は0なので1230。という順で計算したほうがスムーズ。筆算は1の位から始めるものだとばかり思っていて、逆から計算してみようとは思いもしなかった。
そろばんという道具を使わなくても、数字を頭に描けば同じことができるのではないかとも思ったけれど、3桁の足し算を文字に書かれた数字を見ずに暗算する際、そろばんの珠よりも数字のほうが頭に映像として残りにくい気がした。数字という記号を数字が表す概念にいちいち頭の中で置き換えている感じがするが、そろばんの場合、珠の位置とそれが表す数値の概念が直結している。音楽を演奏する際、ドレミファ(Do Re Mi Fa)と文字で書かれているよりも、五線に音符で記されているほうが視覚的に瞬時に読み取りやすいのと似ていると思った。
そろばんと言えば、小学生の頃、学校の授業で唯一ついていけないのがそろばんだった。転校先の学校で習い、途中から教わったというのもあったけれど、まったく方法がわからず、頭で暗算してそろばんの珠をそれに合わして何とか乗り切った(そろばんの意味ないやん!という感じだけど)。その苦手だったそろばんに今になって取り組もうとするとは思いもよらなかった。うちに来てそろばんの面白さを教えてくれた小学生の先輩に感謝!
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