もうすぐ町の選挙があるらしい。
ポストに候補者のチラシが入っていたり、支援者が挨拶に来たりする。悲しいことに、候補者がこの町をどうしていきたいか、という想いや熱意が伝わってきたためしがない。
まず、不可解なことに、その候補者が掲げる政策やビジョン、町の現状についての問題意識などについて、話を聞かされたことがない。ただ単に、応援よろしく、だけである。話してもわからないと思われているのか、伝えたいことがないのか、どういうことだろうと、いつも不思議に思う。
その候補者が当選したら何をしたいのか、何を目指しているのか、といったことが分からなければ、応援しようという気になるはずがない。本人と会わなければ人柄もわからない(写真でだいたい伝わってくるけれど)。
今日(予約投稿しているので、記事がアップされた日ではない)も、候補者の支援者が訪れた。いきなり戸をガラガラと開けるので、その時点で悪印象だった。玄関の間は片付けの途中で散らかり放題なので、戸を開けたのはマズかったと思われたらしく、一度開けた戸を閉めて、再び挨拶の声が聞こえてきた。玄関で応対すると、候補者のチラシとハガキを渡され、「ハガキを出しておいてください」と言われた。このときも、候補者のプロフィールについては、名前しか聞かされなかった。ぼくは「見てみます」とだけ答え、支援者はチラシとハガキさえ渡してハガキを出すように「指示」すれば用は済んだらしく、すぐに帰られた。
ハガキを見てみると、後援会への入会を申し込むハガキだった。候補者の名前だけ聞かされて、挨拶に来てくれたからといって後援会に入る人がいるのだろうか? やはり不可解極まりない。しかも、友人や知り合いなどの名前や住所を書く欄まである。何とも押し付けがましい感じがして、せっかく挨拶に来てくれたのに、悪印象だけ残ることとなった。
今のところ、届いたちらしに書かれた政策やビジョンを見ても、通り一遍といった内容で、何も心に響いてこない。具体的な内容がなく、誰でもコピペでつくれるようなことしか書かれていない。本当に伝えたいことがあるなら、もっと具体的な内容になるのではないかと思い、本当にその気があるのか疑ってしまう。
それにしても、町内の家を一軒一軒ただ挨拶にまわって頭を下げれば支援してくれる人が増えるだろう、と思われているのだろう。人によっては、あの人(やその支援者)がわざわざ挨拶に来てくれたし、感じがよかったから一票を入れよう、となるのかもしれないが、そんなのでいいのか。完全に見くびられている気がして、不愉快極まりない。そう感じる人は少数派なのだろうか。このような選挙活動が一般的だということは、そう感じる人が少数派なのかもしれないし、あるいは、相手がどう感じるかを想像できる候補者やその支持者が稀有なだけなのかもしれない。
選挙で票を入れるとき、判断基準にするのは、自分が望むような政策やビジョンを掲げていて、それを本当に実行する気があるか、あるいは人間として信頼できる人物かどうか。自分の考えや想いをなるべく代弁し、実行に移してくれそうな候補者を選ぶ。こういう人にぜひ政治家になってもらいたい、という候補者がいる場合もあれば、どの候補者もあまり進んで票を入れる気にはなれないけれど消去法で選ぶような場合もある。
誰かに応援を頼まれたからといって、義理で票を入れることはない。今まで応援を頼んできた人で、その候補者の政策やビジョン、目指していることなどについて聞かされたためしがない。自分が応援しているのだから、あなたも応援して、という感じで、押し付けがましさに不愉快になる。「こっちにも自分の意思というものがあるんや」と思いつつ、そうはっきり言うわけにもいかないので、「話は聞くけれど、誰に投票するかは自分で決めるんで」と言う。そう言って、詳しく話を聞かされたためしがない。こいつは簡単にはいかなさそうだから、次のターゲットを狙おう、ということになるらしい。
頭を下げたり、義理人情に訴えたりするだけで、相手の意志を軽視するような選挙活動にはうんざりさせられる。自分が応援している候補者を誰かに応援してもらおうと思ったら、その誰かがが自分の意思で自主的に支持してくれるように、情報を伝える必要がある。情報さえ伝われば、相手も応援したい候補者であることが分かり、支持者が増えることもあるだろう。
選挙は、情報交換と議論によって、お互いの考えや知識を深め、発展させていく機会にもなる。どんな町にしたいか、そのためには何が必要か、どんな変化を起こしていくべきか、どんな暮らしがしたいか、それはどうすれば実現できるか…そういったことを、一人一人が具体的に考えるべきだと思う(そもそも、そういったことを考えるための情報が不足している)。そして、最終的に判断するのは有権者一人一人であり、他人からの依頼ではなく、自分の意思による判断であるべき。そこをすっ飛ばして、挨拶まわりに終始して義理人情に訴えかけるばかりで、一番多く、深々と頭を下げた候補者が当選する、というのでは、市民が本当に望んでいることが政策や実行に移されず、結局、ろくな政治が行われないだろう(そもそも、情報が不足していたり自分で考えることをしなければ、自分の望みさえはっきりしない)。
とにかく、大切なのは自分の意思。そして、相手の意思。お互いの意思が大事にされない社会は生きづらい。お互いの意思がぶつかり合うこともあるだろうけれど、譲り合い、協力し合い、分かち合い、互いの意思を尊重し合える世の中にしていきたい。
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by 硲 允(about me)
twitter (@HazamaMakoto)
ポストに候補者のチラシが入っていたり、支援者が挨拶に来たりする。悲しいことに、候補者がこの町をどうしていきたいか、という想いや熱意が伝わってきたためしがない。
まず、不可解なことに、その候補者が掲げる政策やビジョン、町の現状についての問題意識などについて、話を聞かされたことがない。ただ単に、応援よろしく、だけである。話してもわからないと思われているのか、伝えたいことがないのか、どういうことだろうと、いつも不思議に思う。
その候補者が当選したら何をしたいのか、何を目指しているのか、といったことが分からなければ、応援しようという気になるはずがない。本人と会わなければ人柄もわからない(写真でだいたい伝わってくるけれど)。
今日(予約投稿しているので、記事がアップされた日ではない)も、候補者の支援者が訪れた。いきなり戸をガラガラと開けるので、その時点で悪印象だった。玄関の間は片付けの途中で散らかり放題なので、戸を開けたのはマズかったと思われたらしく、一度開けた戸を閉めて、再び挨拶の声が聞こえてきた。玄関で応対すると、候補者のチラシとハガキを渡され、「ハガキを出しておいてください」と言われた。このときも、候補者のプロフィールについては、名前しか聞かされなかった。ぼくは「見てみます」とだけ答え、支援者はチラシとハガキさえ渡してハガキを出すように「指示」すれば用は済んだらしく、すぐに帰られた。
ハガキを見てみると、後援会への入会を申し込むハガキだった。候補者の名前だけ聞かされて、挨拶に来てくれたからといって後援会に入る人がいるのだろうか? やはり不可解極まりない。しかも、友人や知り合いなどの名前や住所を書く欄まである。何とも押し付けがましい感じがして、せっかく挨拶に来てくれたのに、悪印象だけ残ることとなった。
今のところ、届いたちらしに書かれた政策やビジョンを見ても、通り一遍といった内容で、何も心に響いてこない。具体的な内容がなく、誰でもコピペでつくれるようなことしか書かれていない。本当に伝えたいことがあるなら、もっと具体的な内容になるのではないかと思い、本当にその気があるのか疑ってしまう。
それにしても、町内の家を一軒一軒ただ挨拶にまわって頭を下げれば支援してくれる人が増えるだろう、と思われているのだろう。人によっては、あの人(やその支援者)がわざわざ挨拶に来てくれたし、感じがよかったから一票を入れよう、となるのかもしれないが、そんなのでいいのか。完全に見くびられている気がして、不愉快極まりない。そう感じる人は少数派なのだろうか。このような選挙活動が一般的だということは、そう感じる人が少数派なのかもしれないし、あるいは、相手がどう感じるかを想像できる候補者やその支持者が稀有なだけなのかもしれない。
選挙で票を入れるとき、判断基準にするのは、自分が望むような政策やビジョンを掲げていて、それを本当に実行する気があるか、あるいは人間として信頼できる人物かどうか。自分の考えや想いをなるべく代弁し、実行に移してくれそうな候補者を選ぶ。こういう人にぜひ政治家になってもらいたい、という候補者がいる場合もあれば、どの候補者もあまり進んで票を入れる気にはなれないけれど消去法で選ぶような場合もある。
誰かに応援を頼まれたからといって、義理で票を入れることはない。今まで応援を頼んできた人で、その候補者の政策やビジョン、目指していることなどについて聞かされたためしがない。自分が応援しているのだから、あなたも応援して、という感じで、押し付けがましさに不愉快になる。「こっちにも自分の意思というものがあるんや」と思いつつ、そうはっきり言うわけにもいかないので、「話は聞くけれど、誰に投票するかは自分で決めるんで」と言う。そう言って、詳しく話を聞かされたためしがない。こいつは簡単にはいかなさそうだから、次のターゲットを狙おう、ということになるらしい。
頭を下げたり、義理人情に訴えたりするだけで、相手の意志を軽視するような選挙活動にはうんざりさせられる。自分が応援している候補者を誰かに応援してもらおうと思ったら、その誰かがが自分の意思で自主的に支持してくれるように、情報を伝える必要がある。情報さえ伝われば、相手も応援したい候補者であることが分かり、支持者が増えることもあるだろう。
選挙は、情報交換と議論によって、お互いの考えや知識を深め、発展させていく機会にもなる。どんな町にしたいか、そのためには何が必要か、どんな変化を起こしていくべきか、どんな暮らしがしたいか、それはどうすれば実現できるか…そういったことを、一人一人が具体的に考えるべきだと思う(そもそも、そういったことを考えるための情報が不足している)。そして、最終的に判断するのは有権者一人一人であり、他人からの依頼ではなく、自分の意思による判断であるべき。そこをすっ飛ばして、挨拶まわりに終始して義理人情に訴えかけるばかりで、一番多く、深々と頭を下げた候補者が当選する、というのでは、市民が本当に望んでいることが政策や実行に移されず、結局、ろくな政治が行われないだろう(そもそも、情報が不足していたり自分で考えることをしなければ、自分の望みさえはっきりしない)。
とにかく、大切なのは自分の意思。そして、相手の意思。お互いの意思が大事にされない社会は生きづらい。お互いの意思がぶつかり合うこともあるだろうけれど、譲り合い、協力し合い、分かち合い、互いの意思を尊重し合える世の中にしていきたい。
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