「仕事」といわれて思い浮かべるものは人それぞれ。ずっと仕事のことを考えていても飽きないしワクワクする、という人もいれば、なるべく仕事のことは考えたくない、という人もいるだろう。
「仕事」か「趣味」か、という話も最近書いたけれど、「仕事」かどうかは、それでお金が得られているかどうかを指標とする人が多いように思う。
「好きなことを仕事にする ~珍妙見聞録第一巻~」という本では、好きなことをしてその結果、お金も得ている方たちにお話をうかがったが、自分の好きなことを仕事にしていこうとすると、最初はお金の得られないところからスタートする。
お金が十分に得られるようになってようやくそれが「仕事」といえるのだろうか?
世間的にはそうかもしれないが、そのことでお金が得られるようになる前の段階からずっと取り組んでいるのであって、準備段階やお金を得られるようになる前の段階も大事な「仕事」である。
好きなことを仕事にしていくには、「世間でいう仕事」と「自分にとっての仕事」の定義を別々にもっておくのもいいかもしれない。
「仕事は何をしてるんですか?」ときかれたら、ぼくはたいてい最初に「翻訳」と答える。ぼくは仕事をせずにぷらぷらしているように見えるようで、この質問は、「何をしてお金を稼いでるんですか?」に置き換えられるので。翻訳以外に、本をつくったり、ブログを書いたり、取材に行ったり、ときどきライターの仕事や英語でのリサーチなどもしているけれど、「お金」を指標にすると翻訳が最初に来ることが多いので、質問の意図に合わせてそう答えている。
たまに、その裏まで見透かされることがある。翻訳と答えたときだったと思うが、「じゃあ、自己表現の手段は何なの?」という予想外の質問を受けて驚いた。ブログや本と答えたように記憶している。その方は、仕事によって「自己表現」をしているように見える。だから、他人が何によって「自己表現」をしているかが気になるのだろう。仕事を主にお金を得る手段だと考えている場合、他人が何によってお金を得ているかが気になる。
ちなみに、自分がどうしても伝えたいことが書かれている本を翻訳して世に出すなど、翻訳によって自己表現することも可能だと思うけれど、ぼくは今のところ翻訳でそういう仕事は少ない。「自己表現」といえないような翻訳はつまらないので、そのうち、そういう翻訳の仕事もしていきたいと思っている。
「好きなことを仕事にする」のは、自分の中では今日からでも可能。「これだ!」と思うものや、前々から好きで一生続けていきたいようなこと、これを思う存分やったら生きた甲斐があったと思えるようなことなどに、本気で取り組み始めれば、自分の中ではそれはもう大事な「仕事」だといえる。少しずつでも、コツコツと続けてさえいれば、そのうち世間的にも「仕事」と呼ばれる段階に入ると思うけれど、一番重要なのはそこではないと思う。
「好きなこと」によって、「何を生み出すか」「他人、社会、世の中にどのような影響を与えるか」「その仕事によって、自分がどのような気持ちが得られるか」・・・。お金がどう動くかは、社会のシステムと他人の意志にもよる。自分が望む暮らしを成り立たせるだけのお金を得ていく必要はあるが、「仕事」=「お金を得る手段」と考えると、大事なことを見失ってしまいやすい。
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