未来への希望と元気な「お年寄り」


自分の仕事や人生のプランを立てるうえで、常に何となく心の奥にある想いは、「自由を奪われたくない」「自分の可能性を狭めたくない」ということ。

生きているうちに、自分が心から望むことを思う存分しておきたい。仕事によってそれが阻まれることは阻止したい。

自分が心から望まないことに費やす時間はなるべく無くしたい。そのためには、自分が本当にしたいことを仕事でする必要がある。まだ完全にはそうはなっていないけれど、そういう方向に向かって進みつつある。

子どもの頃、ぼくは自分の未来に対して漠然とした希望や可能性を感じていた。大きくなるにつれ、自分の未来が自分の思い描ける具体的な選択肢の中に狭められ、未来のビジョンがだんだん窮屈になってきがちだけど、子どもの頃に感じていた希望や無限の可能性を失いたくない。

「楽しいのは学生のうちで、働き始めたら地獄」というような話を時々聞く。そうなってしまうことも多いと思うけれど、それなら、この話を教訓として、そうならない道を選びたい。実際、自分の仕事が好きで楽しく働いている人もいる。ぼくも、一日中椅子に座って先生のつまらない話を聞かされていた(面白い授業もあったけど)学生時代より、自分で仕事を選んだりつくったりして一日を自由に過ごせる今のほうが楽しくなった。

「働き盛りは30代」というような話もよく聞くけれど、香川に移住して驚いたのは、60~80代の方たちのエネルギー。「フォレスターズかがわ」で一緒に森づくりの活動をしているメンバーも、平均年齢60代以上で、70代、80代でもチェンソーを振り回している。

近所のうどん屋で、小さな女の子が腰を曲げて、杖をつくマネをして「60歳のおじいちゃん」と言った。女の子の母親はそれを聞いて、「それ、60歳じゃなくて90歳やろ!」とつっこんだシーンがなんだか象徴的だった。香川に来て、「お年寄り」のイメージが変わった。ぼくが小学生の頃に60代の祖父がなくなったので、自分もそれくらいの年で死ぬ可能性があると思っていたけれど、香川で出会った60代の人たちは、まだ「お年寄り」という感じすらしない。もちろん都会にも、年をとっても元気な方はいる。コンクリートやアスファルトに囲まれた暮らしで、どうすればそんな元気さが維持できるのだろうと驚くけれど、そういう方はよく出歩いて体を動かしているように見える。

いつまでも元気で楽しそうな人に共通するのは、自分が望む未来を描きながら、今自分ができることに集中して一つずつカタチにしていっていることではないかと思う。

未来を悲観しがちなご時世だけど、希望をもてる人が希望をもたないことには、明るい未来は訪れない。辺り一面が闇に見えても、手元を照らさないことには物事は始められない。


【関連記事】

by 硲 允(about me)
twitter (@HazamaMakoto