途中をたのしむ


「プロセスをたのしむ」というのは、20代の頃からの課題だった。目標を定め、そこへ向かって一歩一歩進んで行き、目的地にたどりついても、そこからまた、新たな道が始まる。だとすれば、一つの目標を達成したとしても、それはプロセスでしかない。となると、人生はプロセスの連続。プロセスをたのしまなければ、いつをたのしむのか?何をたのしむのか? …ということを頭ではわかっていても、ゴールを急いでしまいやすい。早くゴールにたどり着きたくて焦ってしまう。焦りは何の役にも立たないのに。

「途中をたのしむ」という相方の表現を聞いて、「プロセス」というのと「途中」というのではまた感じが違ってくるなぁと思った。「途中をたのしむ」、というのも素敵。完成してなくても、途中までいったその途中をたのしむ。そういえば遠足にしても、「途中」がたのしいものだった。目的をまわり、家に帰ったら遠足が完了するわけだけど、完了したときが喜びの絶頂というわけではなかった(家に無事帰ったときの安堵感のようなものもいいけれど)。遠足当日をたのしみにしながら前日に夜に布団の中で眠るまでの時間や、目的に向かってバスに乗っている時間にワクワク感があった。遠足はよくあるたとえだけど、いろんなことにあてはまると思う。目的地に向かって何かをしていくときに、その途中をどうたのしむか、いろいろ工夫していこう。

「途中(PROCESS)をたのしむ」ことを忘れないように、紙に書いてカレンダーの横に貼っておいた。常に途中をたのしまないと!と強迫観念のようになってしまわないようにしたいけど。張り紙が時々目に入るたびに、心がけを新たにしている。