身体も思考も心も


「人間、手を動かしてようやくわかるようになることが、いろいろあるなぁ」と、あるとき思いました。

畑にしても、本を読んでわかったような気になるのと、実際にやってみるのとではだいぶ隔たりがあります。身体を動かし、頭を働かせ、心で感じながら、ようやく学んでいけることがたくさんあります。

都会ぐらしの頃は、頭でっかちでした。そういえば、森林活動の団体に参加したばかりの頃、「都会暮らしのときは頭ばっかり使って、頭でっかちだったんで」というような話をみんなの前ですると、一人の方に「そんな感じに見えるわ」と肯定され、失礼やなぁと思いつつ、そりゃそう見えるわなぁ、と別に腹を立てることもなく納得したのを思い出します。

都会ぐらしで頭でっかちにならずにいるのは相当難しいことだと思います。今どき、スマホやタブレットなどを一日中持ち歩いてチェックしているような暮らしでは、文字情報や画像・動画の情報を一日中浴び続け、いろんな情報は入ってきますが、自分の身体や心全体を稼働させて実物と対峙し、実物に触れ、実物を五感で感じ取り、直接的に目の前の実物と関わり、動かし、変化させていく時間は比較的限られてきます。最近はあちこちで手仕事関係のワークショップが増えているように見えますが、実際に手を動かしてものを生み出していく機会の欠乏からの反動だという気がします。

暮らしの手仕事は瞑想的なものだと言われることがよくありますが、たしかに、頭と神経を使い、眉間に力を入れて考えるようなことをせずに、ぼーっとしながらできる手仕事をしていると、気持ちが開放されて、心が落ち着き、気分が晴れやかになってくるものです。一日中パソコン仕事をした後と、一日中畑仕事をした後とでは、自分の状態がずいぶん違うのを感じます。

その時々の自分の状態を細かく感じ取り、どんな自分でいたいかがはっきりしてくれば、自分で自分の状態を調整しやすくなります。パソコン仕事ばかりしていると、「地に足ついてない感じやなぁ」となって畑に行きたくなりますし、草刈りばかりの毎日が続くと言語処理能力が鈍ってきてちょっと難しい本が読みたくなるようなこともあります。自分はこれしかないと一個に決めて、同じことばかりし続けるのはよくないなぁと思うことがよくあります。月並みですが、心身の健全さ・健康を保つには、何事もバランスが大事なのでしょう。


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by 硲 允(about me)