がんばりすぎて、無理しすぎてガタンとくると、結局後退したり、しばらく休止していなくてはならなくなるので、何事もほどほどを心がけています。
小学生にギターを教えているときのこと、指が痛くなったら無理をせずにすぐに止めようとするのを見て、この感覚が重要なのだと気付かされました。ぼくはギターで何度も指を痛めて、しょっちゅう練習を中断せざるを得ませんでしたが、そうなるまでに練習をストップしたり身体を休めて体に負担をかけないようにするような感覚というのは、子どもの頃のほうが研ぎ澄まされていたように思います。子どもの頃、小さな手で鍵盤の重たいピアノを弾く練習をしていましたが、手や指を痛めてしばらく弾けなくなるようなことはありませんでした。子どもだから身体組織が柔らかくて対応しやすい、ということもあるかもしれませんが、振り返ってみると、ちょっとどこかが痛くなってくるようなことがあったらすぐに練習を止めていたような記憶もあります。ピアノを始めた最初の頃、手を思い切り広げても指が届かなくて、お風呂に浸かりながら指の間を広げたりしていましたが、そういうことも、あまり無理をせず、そこそこの程度でしていたものです。
年を重ねるにつれ、無理ながんばりも重ねて、身体の感覚が鈍くなってしまうことがよくあるのでしょう。
楽器の練習とは別の文脈で、そういえば、食事にしても、子どもの頃は満腹の感覚が今よりもはっきりしていたことを思い出しました。自分のお茶碗にご飯がまだ残っていても、この一口でもう終わりにすべき、というちょうどいい腹具合の感覚があったものです。「もったいない」とか、「きりのいいところまで」食べよう、とか、そういう思考に先立って、身体の感覚が、ここまででちょうど、というラインを明確に告げてくれていました。
何をするにしても、「ちょうどいい」のラインは人によって異なるものです。他人の言うことは参考にはなりますが、自分の感覚がやっぱりまず大事です(自分の感覚だけを頼りにするのも危険で、特に自分の感覚が鈍っていると自分で思うときは、幅広い情報を参考にすることも大事ですが)。
無理しすぎず、がんばりすぎず、自分にとって心地いいくらいの負荷をかけながら、楽しく前に進んでいきたいものです。
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by 硲 允(about me)