2017年の新語・流行語大賞に選ばれた「インスタ映え」という言葉について思うこと

最近、「インスタ映え」という言葉をよく聞くようになったなぁと思ったら、「2017ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)で「忖度(そんたく)」と共に選ばれたらしい。

「インスタ(Instagram)」を使っている方には説明するまでもないが、インスタというのは、FacebookやtwitterのようなSNSの一種で、投稿するときに必ず写真が必要なので、写真を中心とした表現になる。スマホがないとインスタは使えず、パソコンからは投稿できないので、文章はスマホでも難なくかける量に落ち着く。写真中心なので、見映えがわるい写真ばかりだとセンスのないヤツだと思われるのを恐れてか、おしゃれでセンスのいい写真を載せたいユーザーが多いからか、そのような言葉が使われ出した。

「インスタ映え」という言葉は、ぼくの周りでは、ちょっと冗談めかして使われることが多い。くだらない用語だと感じつつ、流行語をあえて使ってちゃかしている、というか。

それにしても、「インスタ映え」というのはイヤな言葉だ。音が美しくないし、他人からの評価を気にしているのが卑屈な感じがする。

Facebookが使われ始めた頃は、写真のクオリティを気にするユーザーは少なかったと思うが、最近ではスマホでもきれいな写真が撮れるようになって加工も簡単になり、ひと昔前ならプロが撮ったと思われるような雰囲気のある写真でも簡単につくれるようになった。

みんなが何の工夫もない写真を撮っていれば、自分も写真のクオリティにこだわらないでいられるが、SNSでつながっている周りの人たちが、だんだんクオリティの高い写真をアップし始めれば、不安になってくるものだろう。ここ数年、スマホで写真を撮りながら、もっときれいな写真を撮りたいとつぶやく姿をよく見かけるようになった。

きれいな写真や美しい写真を撮ろうとすること自体は、自分の美的センスを高めることになり、いいことだと思うけれど、「他人の目」や「他人の評価」を気にして、センスのないヤツと思われやしないかといった「おそれ」に基づいて「いい写真」を撮ろうとするのはあまり面白くない。

自分らしい、自分が納得できる写真が撮れれば、それでいいのではないかと思う。とはいっても、「自分らしい、自分が納得できる写真」というのは、そう簡単には撮れない。それなりの知識や技術や練習が要る。そこを語らずに、「インスタ映え」という他人目線中心の言葉ばかり流行っているのは空虚な感じがする。

「インスタ映え」しやすいように、メーカー各社は「インスタ映え」しやすい商品を開発している、という記事を読み、さらにばかばかしくなった。「いい」写真を撮るために、自分の写真技術を高めるのではなく、被写体に頼るヤツが多いだろうと、商品の開発者になめられている。商品開発にしても、デザイン性の高い商品をつくるのはいいと思うけれど、「インスタ映え」を目指す購買者のエサにデザインを利用しているというのは、ずいぶん本末転倒で錯綜している感がある。

写真にしても、文章にしても、どんな表現でも、いきなり他人の目や他人の評価を気にするのではなく、表現すること自体を楽しみ、自分が気に入り納得できることを大事にしていかないと、おかしな方向に走り、結局は他人が心から喜んでくれるようなものは生まれにくいと思う。

来年はもっとまともな言葉が流行る一年になりますように。


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by 硲 允(about me)
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