「人力は最強の再生可能エネルギー」? 車を持たない田舎暮らしの日常

普段、車無し生活を送っているので、どうしても必要なときだけレンタカーを借りることにしている。

レンタカーでいろいろな車を運転すると、車によって燃費がずいぶん違うことを思い知らされる。かなり走ったつもりがほとんどガソリンが減らない車もあれば、ハンドルが上手く定まらないほど疲れきった車はあっという間にガソリンが減る。

町に出ればガソリンスタンドがあちこちにあるが、ガソリンスタンドのない場所を2日も走り続ければ、燃料は空になって、ガソリンを得られなければ車はもう役立たなくなってしまうなぁと、当然のことを思った。それなら、ガソリンスタンドが無いような場所では自転車のほうが役立つかもしれないと考えた。

その数日後、自転車で1時間半ほどかかる場所へ自転車で向かっている途中、いきなり「パン!」という音がして前輪がガタガタ鳴り始めた。3年半乗り回した自転車のタイヤのゴムはすり減り、その内側の繊維っぽいものが見えていて、そろそろ寿命だと思っていたけれど、早めにタイヤを交換していなかったので移動途中でパンクしてしまった。

1時間ほど自転車を押して歩くと、ホームセンターがあり、パンクの修理をしてもらうことができたが、替えのタイヤがなかったり、替えのタイヤがあっても自分で修理できなければ自転車はパンクすればもう役立たなくなってしまうと、当たり前のことを思い知った。それなら、どんな場所でも間違いなく移動しつづけることができるのは「歩くこと」だと考えた。ミュージシャンの三宅洋平さんが、人力は最強の再生可能エネルギーだ、というようなことを選挙の演説中に言われていたのを思い出した。

車を走らせるにはガソリンが要るが、石油には限りがあるし、使いまくると地球温暖化が加速して人も動物も住む場所に困り、自然災害で命を落とすこともある。自転車もタイヤがパンクすれば替えのタイヤが必要になる。一般的な自転車のタイヤをつくるには、工場を動かす必要があり、主な電力は日本ではやはり石油に頼っている(原子力というのはさらにたちが悪い)。

歩くのは、体が動く限り、食料があれば続けられる。町ではお金がなければ食料が得られにくいが、自然がちゃんと残されていれば、人間が大して手をかけなくても、木の実やフルーツや野草を食べれば動き続けられる。疲れたり、ケガをしても、しばらく休めばまた動き始めることができる。たしかに、「人力は最強の再生可能エネルギー」だという気がする。一見、移動のスピードは遅くても、急いでどこかへ移動する必要がなければ、たいして困らない。

とはいえ、現代社会で暮らしていると、いろいろ道具やテクノロジーに頼ることが必要なときもある。パンクした自転車を押している途中、運よくホームセンター(DAIKI)があった。「カーピット」で自転車も修理してくれるという。一台の車が修理中で、修理に1時間くらいかかると言われ、困った顔をしていると、「代車お貸ししましょうか?」と言われ、瞬時に理解できなかったのだけど、修理中、別の自転車を貸し出してくれるらしい。自動車の代車、というのは聞いたことがあったが、自転車の代車があるとは。利用者の困ったところに手が届くありがたいサービスに感謝しながら、代車を大急ぎで目的地に走らせた。

仕事を終えた帰り、友人たちの営むお店に寄った。帰り際、焼き芋をもらい、人力の「ガソリン」を補給しながら自転車をこいだ。自転車も、それをこぐ人間も、町で生きる限り、誰かのおかげで動き続けていけるのだと思った。



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by 硲 允(about me)
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