「消費者」から「生活者」、そして「クリエイター」へ



企業の報告書などで、前までは商品やサービスを購入してくれる可能性のある人々を「消費者」と呼ぶのが普通だったが、あるときから「生活者」という言葉も使われるようになった。

「消費」ばかりしている「者」というのは、さすがに失礼だと思ったのだろうか。消費以外もしてますよ、ということで、「生活」する「者」というわけか。マーケティング上、消費の側面だけを見るのではなく、人々の生活全体を見通したうえで、商品やサービスの購入につなげよう、という、結局はマーケティングありきで生まれた言葉だとは思うけれど。

あるとき、企業のお偉いさんが、「自分たちも実は生活者なんですよ」と、さも偉大な発見をしたかのように誇らしげに語るのを聞いたことがある。企業で物やサービスを売る立場にいる彼ら自身も「生活者」なんだと。企業のお偉いさんたちも商品やサービスを購入しながら生活しているはずで、当たり前だと思ったけれど、それを新発見のように語るとは、どれだけ「会社人間」になってしまっているのだろうと思った。

それにしても、「生活者」というのはヘンな言葉だ。「生活」していない人間はいないはず。「人間」じゃダメなのだろうか? 物やサービスを購入させる対象として語るときに、「人間」ではちょっと失礼にあたる感じがするのかもしれない。

物をつくる企業は「メーカー」とも呼ばれる。「メーカー」は、地球の資源や人々の労力や時間を使って生産しているのに、「つくる」というところばかりを切り取って「メーカー(maker)」と呼ばれる。その「メーカー」は、別の文脈では「消費者」や「生活者」と呼ばれる多数の人たちが働いていることによって成り立っているのに、一人ひとりとなると、とたんに「消費」し、「生活」する者とみなされる。

「生産者」という言葉もある。これはよく、野菜や果物などを育てている人に使われる。そういえば、「生産者さん」という言葉はよく聞くが、「消費者さん」「生活者さん」というのは聞いたことがない。「消費者さん」なんて言われたら、いくら「さん」付けで丁寧っぽくても、バカにされている感がある。

それにしても、会社の外では「消費」ばかりさせられて、会社では自分が大してつくりたくもないものをつくる手伝いをさせられたのでは我慢ならない。

カタカナだけど、「クリエイター」という言葉もある。「クリエイター」というと、パソコンのキーをたたいたり図面を引いたりして、何やらかっこいいデザインのものや斬新な何かをつくっているようなイメージが浮かんでくるけれど、本来、人間は誰しも「クリエイター(creator)(生み出す者)」なはず。

いつの間にか、「消費」ばかりさせられ、自分がたいして望まないものをつくる手伝いばかりさせられていることに慣らされてきたのだろう。

「消費者」というのはさすがに不適切だということになった。「生活者」というと、何をしているのか謎だが、ぶらぶらしているだけではない。人間、誰しも毎日何かしら「クリエイト」している。物やサービスを売る企業としては、人間一人ひとりを「クリエイター」だと見なすと不都合が生じるのかもしれないが、その企業だって、本来「クリエイター」であるはずの人間一人ひとりから成り立っている。

人間の本来の「クリエイション」を妨げる仕組みで一役買っているのは「お金」だろう。「お金」がなければ、食べ物も住む場所も得られにくい世の中になっている。食べ物も住む場所もなければ、「クリエイション」なんて言っていられなくなる。「クリエイター」としての自分を取り戻すには、まずはそこから抜け出すことから始める必要があるのかもしれない。一気にお金を稼いで抜け出すか、お金が大してなくても暮らしていける仕組みをつくることによって抜け出すか。

今までに自分はいったい何を「クリエイト」してきたのか。

もし自由になったとしたら、何を「クリエイト」したいか。

そんなことを考える暇も気力も残されないほど、世の中は他人の「クリエイション」に付き合わされて人生を費やしてしまう仕組みが整っているけれど、自分が本当に望む「クリエイション」は今日からでも始められるはず。


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