「自分の考えなんて特にないような気がするけど、どこまで考えたら自分の考えだといえるのだろう」と20代の頃に思ったことがある。
その後も、ぼくはいろんな人の影響を受けてころころと考えを変え、固定した「自分の考え」を「持っている」ような感じがせずに過ごしてきた。
最近思うのは、考えは「持つ」ためのものではなく、「何かを生み出すために使うもの」だということ。
ある考えが浮かんだとする。その思考によって、自分がどんな気持ちになるか。自分のどんな行動につながるか。自分と他人に与える影響は? 自分はその思考を好ましいものと感じるか、そうでないか。
自分がある思考を心地よく感じ、自分や他人にとっていい結果をもたらすと思えば、その思考を「解き放ち」「発信する」。反対に、自分から生まれたある思考を自分や他人にとって好ましくない結果を生むものだと感じれば、なるべく「鎮めて」「消す」ようにする。
口に出したり文章で書いたりした言葉をなかったことにできないのと同じように、一度生まれた思考もなかったことにはできないが、それをさらに大きくするか小さくするかは、その後の思考で軌道修正できる。
思考と「気持ち」は切り離せない。どんな思考を生んだときに「気持ち」がどうなるかによって、自分の思考を自分で判断していくことができる。
言葉も思考も、出るがままに任せるのではなく、自分が望むものを生み出していくためにつかっていきたい。
【関連記事】
- 身体は自然に新陳代謝するが、思考は意志の力でアップデートしていく必要がある。
- 「兵士は戦場で何を見たのか」、こんな本を読むと「戦争」を引き寄せる? 「引き寄せの法則」の勘違い。
- ネガティブな現実には目を向けなくていい? 「引き寄せの法則」のよくある勘違いについて。
- 「考えること」と「書くこと」について。