明けましておめでとうございます。
去年は早起きして近所を散歩しながら初日の出を見たが、今年は起きたらもう日が昇っていた。庭でヨガをしながら全身に受ける日の光がいつもよりあたたかい。今朝、お日様はたくさんの人に楽しみに迎えられてうれしかったのかもしれないと思った。
自家製天然酵母でこねばパン生地が膨らんでいたらしく、朝から相方がフライパンでパンを焼いてくれた。
見事に膨らんで、めでたい感じに出来上がった。
庭や畑で過ごそうかとも思ったけれど、正月気分を楽しんでいる人の群れに混ざりたくなって、相方と自転車で初詣に出掛けた。まずは、いつも前を通る近所の神社でお参り。近所の人たちでにぎわっていた。「近所にこんなに人おったんや」と言うと、相方も同じことを思っていたらしい。
その足で滝宮天満宮(香川県綾川町;祭神は菅原道真)に行った。予想以上の人の群れで、お参りの列が数十メートルに伸びていた。撫で牛がいつもよりうれしそうに見えた。七福神にお参りしている人はほとんどいなかったので、一人(?)ずつ順にお参りできた。
交通誘導され、いつもは通らない裏道を通ると、境内で顔のある木に出会った。
その後、イオン綾川店の裏辺りにある八坂神社(主祭神:須佐之男命)と大久保神社(祭神:大久保主計命、久保太郎右衛門命)を訪れた。
現在の香川県綾川町の萱原一体では、江戸時代、度重なる干ばつでお米がつくれず餓死する人が続出していたらしい。若くして庄屋(村の首長)になった久保太郎右衛門は、自分の財産を投げ打って、投獄されながらもついに萱原用水を完成させたという。
その際、藩の重役・大久保主計がしばしば便宜を計ってくれたらしく、久保太郎右衛門は、用水路が完成したのは大久保主計のおかげだとして、大久保神社を建てたとのこと。久保太郎右衛門も、亡くなったあとに大久保神社に合祀されたという。当初は今とは別の場所(大羽茂池の畔)にあったそうだが、昭和43年に八坂神社の境内に移されたらしい。
上の写真が大久保神社。昨年の田畑の恵みへの感謝を伝えた。
大久保主計の肖像画。
境内に落ちていた銀杏をいただいて帰った。
去年か一昨年、近所の大きな銀杏の木が伐られて寂しくなった。この銀杏から苗木を育ててみようと思う。
by 硲 允(about me)
twitter (@HazamaMakoto)
去年は早起きして近所を散歩しながら初日の出を見たが、今年は起きたらもう日が昇っていた。庭でヨガをしながら全身に受ける日の光がいつもよりあたたかい。今朝、お日様はたくさんの人に楽しみに迎えられてうれしかったのかもしれないと思った。
自家製天然酵母でこねばパン生地が膨らんでいたらしく、朝から相方がフライパンでパンを焼いてくれた。
見事に膨らんで、めでたい感じに出来上がった。
庭や畑で過ごそうかとも思ったけれど、正月気分を楽しんでいる人の群れに混ざりたくなって、相方と自転車で初詣に出掛けた。まずは、いつも前を通る近所の神社でお参り。近所の人たちでにぎわっていた。「近所にこんなに人おったんや」と言うと、相方も同じことを思っていたらしい。
その足で滝宮天満宮(香川県綾川町;祭神は菅原道真)に行った。予想以上の人の群れで、お参りの列が数十メートルに伸びていた。撫で牛がいつもよりうれしそうに見えた。七福神にお参りしている人はほとんどいなかったので、一人(?)ずつ順にお参りできた。
交通誘導され、いつもは通らない裏道を通ると、境内で顔のある木に出会った。
その後、イオン綾川店の裏辺りにある八坂神社(主祭神:須佐之男命)と大久保神社(祭神:大久保主計命、久保太郎右衛門命)を訪れた。
現在の香川県綾川町の萱原一体では、江戸時代、度重なる干ばつでお米がつくれず餓死する人が続出していたらしい。若くして庄屋(村の首長)になった久保太郎右衛門は、自分の財産を投げ打って、投獄されながらもついに萱原用水を完成させたという。
その際、藩の重役・大久保主計がしばしば便宜を計ってくれたらしく、久保太郎右衛門は、用水路が完成したのは大久保主計のおかげだとして、大久保神社を建てたとのこと。久保太郎右衛門も、亡くなったあとに大久保神社に合祀されたという。当初は今とは別の場所(大羽茂池の畔)にあったそうだが、昭和43年に八坂神社の境内に移されたらしい。
上の写真が大久保神社。昨年の田畑の恵みへの感謝を伝えた。
大久保主計の肖像画。
境内に落ちていた銀杏をいただいて帰った。
去年か一昨年、近所の大きな銀杏の木が伐られて寂しくなった。この銀杏から苗木を育ててみようと思う。
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