「第2回 街路樹サミット in 大阪」に参加してきました(前編)


1月7日(土)に立命館いばらきフューチャープラザで開催された「第2回 街路樹サミット in 大阪」に参加してきました。

普段、あちこちで見かける街路樹は、枝が伸びてくると痛ましいほどちんちくりんに切られたり、根元をコンクリートで固められて苦しそうにしていたり、電線に阻まれて窮屈そうだったり、車の排気ガスにさらされ続けて息苦しそうだったり、ろくな目にあっていないことがほとんどで、見ていて気持ちが沈んだり腹立たしくなってくることもありますが、それでも木々は一所懸命に生きています。

街路樹をテーマにしたサミットがあるとは、facebookのタイムラインに流れてきた広告で知って驚き、普段気になっているけれどどうしたらいいものかよく分からない街路樹についてヒントが得られそうだと思い、参加しました。

基調講演で、福岡造園(秋田県能代市)の福岡徹さんは「街路樹のためにできること」という題で話され、街路樹を痛ましいほど切らずに自然樹形で育てたり、伐採から守ったりするために行政や地元メディアに働きかけるなど、一市民として、また「造園人」として時と場合に応じていろいろな立場や手法を利用して活動されてきた事例に勇気づけられました。街路樹が過酷な目に遭わされているのは、人々の無知や連携不足や固定観念など、いろいろな要因があると分析されていました。市民の固定観念を揺さぶるために、たとえば、前から能代市で行われてきた「秋の落ち葉一掃運動」というイベントの名称を変えようと働きかけられたとのこと。「一掃」というと、落ち葉がまるでゴミのようで、街路樹はゴミを生み出しているようなイメージを与えてしまう。「一掃」という文字は消えなかったそうですが、「木々の恩恵に感謝して」という前置きが添えられるようになったそうです。このメッセージがあるだけだいぶ印象が違います。福岡さんがつくられたポスターでは、「街なかの葉っぱに逢いに行こう」というキャッチフレーズで、人が落ち葉をかく手を休めて木を見ている写真を載せたそうです。街路樹は、行政組織や手入れを行う人々だけでなく、街の住民と関わり、市民の暮らしとともにあるものなので、市民一人ひとりの認識が変わっていくことが重要なのだと思いました。

京都府立大学大学院准教授・農学博士の福井亘さんは、 「街路樹・街の緑の回廊」という題で、都市の中で緑のコリドー(回廊)としての役割を担う街路樹が人とその他の生き物が共生できる空間をつくり出していることを、鳥の研究結果を交えて話されました。多様な街路樹が植わっている場所では、鳥の種類も多く見られるとのこと。うちの近所の大通りはコンクリートで地面が固められ、植物があまり残されていませんが、街路樹(クロガネモチ)に沿って自転車で走っていると、メジロやスズメが木々の枝や葉っぱの間から次々に飛び出してきて、街路樹が鳥たちにとって大事な場所になっていることがよくわかります。

杜の園芸(山梨県上野原市)代表の矢野智徳さんは、全国各地で「大地の再生講座」を行い、土壌の中の水と空気の循環を回復する活動に取り組まれています(ぼくも2015年に広島での講座に参加したことがあります)。日本のあちこちがコンクリートで固められ、土壌中の水と空気の循環が失われてしまっているけれど、適切に手を入れることで水と空気の循環を取り戻すことは可能で、都市において、街路樹のラインは「血管」のような役割を果たす可能性をもっているとのこと。これだけコンクリートで覆われた都市の景色を見ると絶望的な気分になりがちですが、そのお話を聞いて希望がわいてきました。

イベント告知のメッセージですが、矢野さんの街路樹に関する考えがわかります。





後編へ続く