「好きなことを仕事にする」のを妨げる「趣味」と「仕事」の区分けについて

「好きなことを仕事にする ~珍妙見聞緑第一巻~」という本が完成したのは2年ほど前のことだった。


当時は見かけなかったが、最近、「好きなことを仕事にする」や「好きを仕事にする」というフレーズをよく目にするようになった。


好きなことを仕事にしたい人が増えてきたのかもしれない。無料で配布されているアルバイト情報誌にまで、「好きを仕事にする」というキャッチフレーズが使われていた(その仕事が本当に「好き」な人はいるんだろうかと思ったけど・・・)。

相方と話していて、「趣味」と「仕事」という区分けが、「好きなことを仕事にする」のを妨げる固定観念になっている、という話になった。

好きで何かに熱中していても、「そんなのでは食っていけないから趣味にしておけよ」と言われたり、趣味に溺れた道楽者だと思われたり。

世間での「趣味」か「仕事」かの判断基準は、どうやら「お金を稼げる」かどうからしい。それも、ちょっとしたお金ではなく、それだけで生計を立てていけるくらいの。

ちなみに、「プロ」かそうでないかにも、同じ判断基準が使われることがある。

そして世間ではたいてい、お金を稼げていると、レベルが高いのだと思われる。お金を稼いでいないと、「趣味」や「アマチュア」だとして低く見られる。

そういう一般通念があるので、特に大人になってから、好きなことに興じていると、「こんなことをしていていいんかな・・・」と思ってしまいやすい。その反面、つまらない仕事を毎日朝から晩までしていても、ちゃんとお金を稼げていたら、不満はありつつもひとまず安心するところがある。

暮らしていくのに必要なお金が足りないのにお金にならない「好きなこと」に没頭しすぎて路頭に迷っては困るけれど、お金にとらわれすぎて、「お金にならないことはやっても意味がない」として好きなことを簡単に手放してしまうのももったいない。

本当に「好きなこと」を、お金になるつまらない仕事の合間にコツコツと続けていれば、そのうち「好きなこと」でお金も得られるようになるかもしれない。

「みんなが好きなことをしたら社会がまともに成り立たなくなってしまう」という意見もありそうだ。

本当にそうだろうか?

現代社会では、お金を自分のところに回していくために、自分でも特に必要だと思わないものをつくらされていることが多い。先日、久しぶりにショッピングセンターに行くと、キッチン用品一つとっても、細々とした用途に特化した製品があふれていて(セールのかごに放り込まれていた)虚しい気持ちがした。ゴミが増える一方で、手にラクをさせてばかりだと指先がどんどん衰えていく。

「好きなこと」というのは、一つ始めると、どんどん変化(進化)していくこともある。好きじゃない仕事の毎日で疲れきっていて、「趣味」すらないような場合、「好きなこと」は「寝ること」かもしれない。でも、好きなだけ「寝ること」を毎日楽しんでいれば、たぶん他に「好きなこと」を見つける意欲が戻ってきて、他のこともしたくなるのではないかと思う。

そうやってどんどん変化(進化)させていけば、そのうち自分のためだけではなく、他の人にとっても役立つことがしたくなるように人間はできているような気がする。


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