冬の一時期、コラム系の記事を毎日書いていたけれど、最近は書けないサイクルに入っていた。
日常の暮らしで行ったことを、写真をいくつか載せ、それを解説するような文章を挟みながら書くような記事は、いそがしくても疲れていても何とか書けるけれど、コラム系の記事は、気持ちが乗っていて頭がそれなりに動くときでないと書けない。
時期によっては、書きたいことが一日にいくつも思い浮かぶ日もあれば、書きたいことがしばらく何も浮かんでこないような時期もある。
書けない時期というのは、いろんな場合があるけれど、自分が大きく変化している最中には書けないことが多い。自然農法を提唱した福岡正信さんの思想に初めて出会った数年前、それまでに自分が考えていたことが覆されたような感じで、いったん白紙に戻る必要を感じ、何も書く気がしなくなった。
言葉にすることで、自分の考えや思いがカタチとしてかたまる。それを自分で次々と更新していくことも可能だけど、変化している最中には、自分の考えや思いをかためずに思い切り揺り動かして次に進みたくなることもある。
とはいえ、ぼくのように他人に影響されやすい人は、常にアウトプットする機会を持つようにすることも重要だと思う。インプットばかりしていると、「わかった気」になってしまいがちだけど、アウトプットしてみることで、わかっていることとわかっていないことがはっきりする。アウトプットすることは、わかっていないのに「わかった気」になってふらふら流されていくことへの歯止めになり、自分の軸をしっかり保つことに役立つ。
誰でも見ることのできる場所にあるブログに文章を書くのと、誰にも見せない前提で書く文章では、書き方も内容もずいぶん異なってくる。誰かに見てもらう前提でアウトプットしていく気になれないときは、自分の思考や記録のために、誰にも見せないノートなどにアウトプットしてみるのもいいかもしれない。いざ自分用に書いてみると、少し直せば公開できる文章になることもある。
そういえば最近、ブログばかり書いているので、ノートと向き合う習慣を復活させたほうがいいかもしれないと思った。ブログに書く場合、自分がしたこと、思ったこと、考えたこと、感じたことを書きながら、それを読んでくれた人が何を思い、何を考え、何を感じ、どういう行動につながる可能性があるかをある程度常に意識している。だからこそ書けることもあれば、それによって書ける内容に制限がかかることもある。
読み手のことを全く気にせずに書いた文章のほうが、好奇心をくすぐる面白い文章になることもあると思うけれど、自分が望まない結果を引き起こしてしまうことも多いと思う。他人の気持ちを不必要に傷つけてしまうようなことにもなりかねない。ぼくは自分の書いた文章で他人や自分を苦しめることはなるべく避けたいので、何を書き、何を書かないかの選択にはずいぶん慎重なほうかもしれない。
その辺の勘所も、たくさん書いてみてようやくわかってくることも多い。こんなことを書いたら「炎上」するのではないかと思うようなことでも、いざ書いてみるとたいていはシーンとしている。逆に、自分では何とも思わないところで物議を醸すこともあるようだけど、ぼくはまだそういう経験がない。ネット上ではすぐに反応が得られやすいので、自分の文章が他人にどう受け取られるかを知るにはブログはいい勉強になる。
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by 硲 允(about me)
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