幼稚園でオルガンの音に感動して始めたピアノのことを徒然に

音楽に関するぼくの「原体験」といえば、幼稚園で聞いたオルガンの音だった。何の曲だったのかは覚えていないが、先生が弾き始めたオルガンの音に「腹の底から」感動するような衝撃を受けた。その演奏が上手だったわけでも、曲が感動的だったわけでもないと思うけれど、おそらくオルガンの一つひとつの鍵盤に対応する音と音の「和音」に感じるものがあったのではないかと思う。


その日、家に帰るとすぐ、「ピアノを習いたい」と母に言ったようだ。当時は「オルガン」と「ピアノ」の区別もついていなかった。最初は、小さなキーボードを買ってもらった。母に教わると、案外上手に弾いたらしい。通っていた小学校の真ん前にある個人のピアノ教室に通わせてもらうことになった。いつまでこの熱が続くかわからないので、最初は本格的なピアノではなく、電子ピアノを買ってもらった。その先生は、教え方が厳しいことで評判だった。「卵を握るような感じに指をかるく曲げる」など、まずは指の構え方や、鍵盤の叩き方を徹底的に叩き込まれた。子どもの小さな手を広げて届く鍵盤には限界があるが、親指と小指で遠く離れた鍵盤を同時に叩けるように、お風呂で手があたたまったときに指の関節を広げたりもした。

ピアノが弾きたいという気持ちは、どうも一時の気まぐれではなさそうだ、ということで、祖父母がアップライトピアノを買ってくれた。楽器屋に連れていってもらい、3台ほど試し弾きさせてもらった。ぼくが一番気に入ったのは、どちらかというとビビッドな音の黒いピアノだった。ぼくが今、自分でピアノを買うとすれば、楽器屋を何軒も廻って何十台も弾き比べるだろうけれど、祖父母はその黒いピアノを即決で買ってくれた。母はもっと音が柔らかい茶色いピアノが気に入っていたと後から聞かされたが、そのときは何も言わず、ぼくの好みに任せてくれた。

いつだったか、父がモーツァルトの「トルコ行進曲」のCDを買ってくるか借りてくるかして、家でかけてくれた。ぼくはすぐに気に入って、自分でもこの曲を弾けるようになりたいと思った。ピアノの先生に「この曲を弾けるようになりたい」と言った覚えはないが、習い始めて2、3年経った頃だっただろうか、ついに課題曲に「トルコ行進曲」が登場し、心を躍らせた。その先生のレッスンでは、毎回、レッスンの最後に、次回までの課題曲が選ばれ、その時の実力内で完璧に弾けるようにしてくることが求められた。「トルコ行進曲」のときは、思い入れが違ったので上達が早く、先生に褒められ、レッスンについて来てくれていた母が横から、「前から弾きたがっていた曲なので」と言った記憶がぼんやりと残っている。

好きで始めたピアノだが、毎週出される課題曲を毎日練習するのは気が重いことが多かった。小学校から帰ると、まずはピアノの練習をするよう母に促された。腰の重い息子を毎日ピアノに向かわせなければならないのは母にとっても気の思いことだったに違いない。

ぼくはピアノやオルガンの音自体が好きだったけれど、「トルコ行進曲」以外に弾きたい曲が特にあったわけでもなく、先生から出された課題曲を淡々とこなしていた。「フォルテ」の記号が付いたところは大きな音が弾き、「ピアニッシモ」の記号があればなるべく音量を控える、というように、楽譜通りに弾いていたが、曲に感情移入することはほとんどなかった。小さい子どもの頃はそういうものだと先生が話していた。テレビや発表会でプロの大人たちが肩や腕を大きく上下させながら弾いているのを見て、ああいうのは恥ずかしくてしたくないと思っていた。まだ子どもだからということで感情移入が免除されてほっとした。

父の仕事の都合で、小学生のときに一年間だけ和歌山市から田辺市の学校に転校した。そのときに別のピアノの先生に教わった。弾きたい曲をきかれたが、ぼくは一曲も答えられなかった。先生は困った様子で、しばらく悩んだ結果、おそらく当時流行っていたアラジンの「ホール・ニュー・ワールド」と幽遊白書というアニメの主題歌と、運動会を思い出す「アイネ・クライネ・ナハトムジー」の3曲を選んでくれた。「ホール・ニュー・ワールド」は好きだったが、他の2曲は好きになれず、淡々と練習して課題をクリアしたが、ぼくの熱意の無さに先生は相変わらず困っていたと思う。

和歌山市に戻り、最初に習い始めた先生に再び教わっていたが、練習が好きではなく、もっと上手く弾けるようになりたいという気持ちがそれほどあるわけでもなく、ましてプロを目指すわけでもないということで、母と相談して、小学校4年生のときにレッスンを終わりにした。ここまで弾いていれば、大人になって弾きたくなったときに指が覚えている、と先生に言われた。

今思えば、与えられた課題曲を淡々とこなすだけではなく、図書館でCDを借りてきてピアノ曲をいろいろ聞いて好きな曲を探したり、ピアニストの伝記を読んだり、課題曲以外に自分の弾きたい曲を見つけて自主的に練習したり、ピアノに対してもっと主体的に向かっていれば続いていたのではないかと思う。当時、そういう欲求が自分の中で生じていなかったので、今さら言っても仕方のないことだけど、何をするにも「自主性」が大事だと思う。

その後、大人になってから、思い立ったように時々ピアノを弾いてきた。辻井伸行さんの「神様のカルテ ~辻井伸行 自作集」を聴いて、毎日のように東京のアパートで小さなキーボードで練習し、週に1回ほどスタジオに通ってグランドピアノで練習していた頃もあった。



辻井さんのピアノは聴いていると元気が出て楽しくなってくる。ピアノを弾く喜びがピアノの音やリズムに乗って心に届いてくる。こんなピアノに子どもの頃に出会っていたらなぁと思うことがある。

モーツァルト・アルバム」に収録されている辻井さんの「トルコ行進曲」を聴いて、この曲がこんなに美しくなり得ることに驚いた。ぼくが子どもの頃から抱いていた「トルコ行進曲」のイメージを覆された。辻井さんのピアノで聴くと、軍隊の行進というよりも、天国や楽園のようなどこか楽しい場所に続く道を歩いているような気分になる。とはいえ、原曲の力強さが失われることなく、原曲へのリスペクトが感じられる。

大人になって、フジコヘミングさんの「エリーゼのために」を聴いたときも心を打たれた。ピアノのレッスンで定番の曲だが、フジコヘミングさんが弾くと全く違う曲に聞こえる。リズムが違うし、流れている時間が違う。聞き飽きた曲が、驚くほど優美で深みのある真新しい曲として聞こえてきた。



子どもの頃はピアノで楽譜をなぞっているだけだったけれど、音楽の大事なところは楽譜に書き表せないところに宿るものであり、結局は弾き手の人間そのものが音に表れるのだということを思い知らされた。


自分が変化すると、奏でる音も少しずつ変わっていくのが面白い。音楽とは一生付き合っていきたいと思っている。


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by 硲 允(about me)
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