「人が過剰に断定的になるのは、他人の意見を受け売りしているとき」…まさに!


『日本辺境論』(内田樹 著)を読んでいて、「まさに!」と思う話があった。

人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いた方がいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。
出典:『日本辺境論』(内田樹 著)p.119



自分の固有の経験や生活実感の深みから汲み出した意見ではない場合、妙にすっきりしていて断定的なものになるという。

誰でも心当たりがあるのではないかと思う。他人が受け売りの意見を言うとき、これは受け売りだな、というのが直感的にわかる。断定的に上から振りかざすようにぺらぺら語るが、自分の経験や実感を通して生み出した意見ではないという無意識的、あるいは意識的な自信のなさも漂う。受け売りで表面的に丸暗記しているだけなので、細かいところをつっこまれたらどうしよう、と防御が働くので、なるべべく疑問を差し挟む余地をなくそうとして、断定的になり、情報をたたみ掛けるのだろう。

本書ではさらにこう続く。

断定的であるということの困った点は、「おとしどころ」を探って対話することができないということです。先方の意見を全面的に受け容れるか、全面的に拒否するか、どちらかしかない。他人の受け売りをしている人間は、意見が合わない人と、両者の中ほどの、両方のどちらにとっても同じ程度不満足な妥協点というものを言うことができない。主張するだけで妥協できないのは、それが自分の意見ではないからです。
出典:『日本辺境論』(内田樹 著)p.120
言い得て妙、という感じで、付箋を貼った。普段、そういうフラストレーションを感じている人には、スカッとする文章だと思う。

その反対に、受け売りではない意見を言おうとするときの態度については、こう説明されている。

自分の固有の意見を言おうとするとき、それが固有の経験的厚みや実感を伴う限り、それはめったなことでは「すっきり」したものにはなりません。途中まで言ってから言い淀んだり、一度言っておいてから、「なんか違う」と撤回してみたり、同じところをちょっとずつ言葉を変えてぐるぐる回ったり……そういう語り方は「ほんとうに自分が思っていること」を言おうとじたばたしている人の特徴です。
出典:『日本辺境論』(内田樹 著)p.119-120

これについても、誰にでも心当たりがあると思う。それをこのように文章でぴったりと表現されているのは初めて読んだ。

こういう話し方をされると、こちらも自然と、相手の話をしっかりと聞く態勢に入る。

世の中には、受け売りで得意になれる人間もいれば、「ほんとうに自分が思っていること」を言おうとする人間もいる。生まれてから死ぬまでどちらか一方に属するというわけではなく、人生の途中で変わったり、時と場合によって使い分けることもあるだろう。

上記の通り、受け売りで意見を言う人間とはまともに対話ができない。だからといって、冷たくあしらうわけにもいかない。受け売りに甘んじているどこか自尊心に欠けていることが多いように思う。自分に根本的に自信がなかったり、大事にされてこなかったり、尊敬されることがなかったり。そこで手っ取り早く、力や権威のありそうな人の意見を頂戴してきて、自分の力にしてしまう(借り物だけど)。フラストレーションを感じたり腹が立つことがあっても、そういう相手こそ、丁重に接しなければ、とも思う。

そういうぼくも、受け売りでエラそうに振る舞ってしまうこともある。そういうのは、自信のなさの裏返し。他人にとって害のない人間になるには、自分がやるべだと思うことをして、経験を積み上げ、人間として成長していくことが大事だと思う。


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by 硲 允(about me)
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