「仕事モード」と他人の期待について。

人間を機械にたとえるのは好きではないけれど、人間も機械と同じように「モード切り替え」のようなことを多少する。

「プライベートモード」、「仕事モード」、「はちゃけモード」、「お笑いモード」、「怠けモード」…。

今日は、「仕事モード」について。

かつて、「ビジネス」への興味が高まっていた頃のぼくは、暮らしのことをしている時とはくっきりと分かれた「仕事モード」というのがあった。仕事を始めると、無意識のうちにそのスイッチが入っていた。

「仕事モード」のスイッチが入るとどうなるか?

  • 効率重視になる
  • 感情があまり動かなくなる
  • 身体が緊張する
  • 仕事相手の期待を意識し、それに応えることを仕事の領域以外のことよりも優先する
  • 能力や技術(スキル)をものさしにして自分や他人を見る
  • 他人との関わりが表面的になる(仕事上の目的を達成するために必要最小限のコミュニケーションにとどめる)
  • 顔が青白くなる
など…。

仕事がいそがしくて、「仕事モード」が続くと、仕事をしていないときでも「仕事モード」が抜けない、ということもよくあった。仕事上のコミュニケーションはできても、たわいもない話が苦手になる。

こんな状態になっている自分は好きにはなれない。「仕事モード」になっている他人も好きにはなれない。機械のような「モード切り替え」を捨て去って、人間と人間として付き合いたい。

ぼくは「仕事モード」にならなくて済む仕事にだんだん切り替えてきた。他人からのプレッシャーがあると「仕事モード」になってしまいやすいので、今はそういう仕事はほとんどしていない。

一概に「仕事モード」といっても、人それぞれで、「仕事モード」になっている自分が好き、という人もいるだろうから、そういう人は、「仕事モード」の自分を楽しんだらいいと思う。くっきりと切り分けないと仕事にならない、と言う人もいる。

ここまで書いて、「他人の期待」というのが、ぼくに限らず、大きな要素になっているのではないかと思った。「自分が何をしたいのか」「自分が何を生み出したいのか」「自分が何にどんな変化を与えたいのか」を最初に思い描き、そのために行動を起こしているとき、人は誰かに指示された仕事と一見同じような作業をしていても、機械のような「仕事モード人間」にはなりにくいのではないかと思う。その反対に、やらされたこと、命じられたこと、指示されたことをし続けざるを得ない場合、まともに感情を働かせていたら身も心ももたないから、「仕事モード」で身を守る。

「自分の望み」や「自分の意志」をまずはっきりさせることが、根本的に大事なのではないかと思う。


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by 硲 允(about me)
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