機械 VS 人間


翻訳の仕事をしていると言うと、AIの出現で、翻訳の仕事も機械にとられてしまうのではないかと心配してくれる人もいるけれど、機械が訓練を積んだ人間よりも的確に、自然に翻訳や通訳をすることはまず不可能だろうと思う。

機械にもある程度は翻訳や通訳ができるだろうけれど、機械には肝心の「気持ち」や「心」というものがない。比較的、心を込める必要のない「取扱説明書」のようなものは機械翻訳の得意とするところだけど、映画の台詞のようなものではあまり役に立ってはくれないだろう。人間は言葉ですべてを語らない。気持ちを察して、ようやく意味がわかる言葉というのも多い。自分の心に応じて相手の心もわかる。機械にも疑似的な心を埋め込むことは可能だろうけれど、どこまで人間の本物の心に近づけることができるか、ぼくは懐疑的なほうである。

ものづくりにしても、機械は人間の手づくりにはどうしたって敵わない。機械織りの服と、手織りの服を着比べてみれば、すぐにわかる。どっちが快適で、どっちに手が伸びるか。

手づくりのものを見て、「売ってるのみたい!」と本人は褒め言葉のつもりで言うのを時々聞くけれど、機械がつくった、寸法では狂いの少ない大量生産の無機質な商品より、多少ゆがんでいても心を込めて手でつくったもののほうが何倍も価値が高いと思う。大量生産・大量消費社会に飽き飽きした人はそういう感覚になってくるけれど、機械文明への憧れの中にまだいる人にはそういう話は通じにくいだろうと思う。

AIに対して過大に期待したり恐怖を感じたりするのは、人間の心というものを甘くみたり自分の心を軽視したりしているからではないか、なんて露骨なことを言うと怒られそうだけど、心がある限り、人間は機械に劣ることはないはずだと思う。

人間には機械と比較にならないだけのポテンシャルがあるとしても、肝心の人間性や人間の心というものを育てていく機会や経験が不足すると、AIのはびこった社会の中で、少なくない数の人間が非常に心細い立場に置かれるリスクもあるだろう。若い人のこれからの仕事選びにしても、人間にしかできないことをし、仕事の中で人間性や心を育てていける仕事を選んでいくことが重要だろうと思う。機械のように知識を詰め込んで、計算機のように答えを出すことばかりを訓練する教育制度も当然見直していく必要がある。

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by 硲 允(about me)