「ヘンリー語録」(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 著, 岩政 伸治 編訳)という本を見ていると、次のような一節が目に留まった。
摘みにいったこともないのに、ハックルベリーを味わったことがあるというのは勘違いもはなはだしい。(中略します)その果実の香りと本質は、粉をふいたその表面が擦れあってつるつるになるにつれ、市場に向かう途中で失われ、単なる食物になり下がる。(『森の生活』)p.28
畑で野菜を育てはじめてから、同じようなことを思うことが時々ある。この採れたての味を届けられたらいいのに、と思うことがある。
たいてい、朝に収穫して昼頃にお店に届けているので、いわゆる新鮮な朝採れ野菜なわけで、根菜などはむしろ少し寝かせたほうが旨味が深まったりすることもあるけれど、中には採れたてが格別に美味しいものもある。まず思い浮かぶのは、霜がおりる少し手前に根性で実らせ、ずいぶん時間をかけてから赤くなったミニトマト。その甘さは、驚くべきものがある。買ってきたミニトマトで、そんな味わいをかつて経験したことがなかった。その頃のミニトマトの収量は限られているので、そもそもすべて自家用となるわけだけど、この風味は、自分でミニトマトを育てないことにはなかなか出会えない。
農業でシビアに生計を立てる必要があるとなると、実りがわずかになったミニトマトの株を冬まで残しておくことはしないだろう。種採りもしないとなると、全部さっさと片付けてしまうだろうから、農業者でも冬のミニトマトの味を知らない人もいるかもしれない。
森に関わるある方が、真冬に、「うちのベランダのミニトマト、まだ成っとるで」と話していたのを思い出した。マニュアルに従う必要がなく、効率を追い求めずに済むベランダ菜園は、無理のない範囲で楽しめるし、意外な発見が得られやすい一面があるかもしれない。