「人気の某小説家の作品の面白さがわからないのは自分のせいだと思っていたけれど、その小説家の作品を某有名人が批判するのを聞いて、自分だけではなかったと安心した」という人の話を相方から聞いた。
人間が自分の感覚に自信を失ってきていることを示すわかりやすいエピソードだと思った。
そう言うぼくも、一時、歴史に名を残している文学作品をいろいろ読んでみたけれど、興味をひかれて夢中になって読める作品(作家)は数限られていた。ちなみに、志賀直哉、武者小路実篤、倉田百三の作品は全集でほとんど読み、トルストイの論考(『芸術とはなにか』など)にもいろいろ考えさせられた。
小僧の神様―他十篇 (岩波文庫)
真理先生(武者小路実篤)
愛と認識との出発 (倉田百三)
同じ作者の作品ばかり読んでいると考え方やものの見方が偏ってくるのを懸念してほかの作家の作品もいろいろ読んでみたけれど、全集を読みたくなるような作家とは出会えなかった。
当時は、愛読していた作家たちの思想や文体に染まり、当時書いていたノートを今読み返すと恥ずかしくなるけれど、あのときは自分の感覚を信じて自分が本当に読みたいものを中心に読んで正解だったと思う。
食べものと一緒で、そのときに必要としているものは、人によって違う。塩辛いものを必要としている人もいれば、甘酸っぱいものを必要としている人もいる。一人の人間でも、ときによって、身体が違うものを求める。
本にしても何にしても、そのときどきの自分の心や身体の声によく耳をすませて、自分が本当に必要としているものを取り入れるのがいいと思う。誰か「お墨付き」の人が言うことよりも、自分の感覚を信じたい。誰かが言うことを鵜呑みにして失敗したら、その人のせいにしたくなるけれど、自分の感覚で決めるとなると他人のせいにはしにくいし、自分の感覚を研ぎすませて対象とじっくり向き合うことになる。
自分の感覚がアテにならないと思うなら、自分が好きになれないものを好きだと言っている身近な人に直接意見を聞いてみるのもいいかもしれない。聞いてみると、自分の感覚が見逃していたものを発見して興味がわいたり好きになったりするかもしれないし、それを聞いてもやっぱり腑に落ちないなら、今の自分には必要のないものなのだろう。そのうちそのよさがわかるときが来ることもあるかもしれないけれど、そうでないときに無理矢理取り入れても、嫌いなものを食べてお腹を壊すようなことになりかねない。
自分の感覚を過信しすぎて傲慢になってもいけないけれど、自分が何を求めていて何が好きなのかを一番よくわかっているのは自分のはず。他人の感覚や他人の意見を参考にさせてもらいながら、自分の感覚を信じてそのときどきの自分に必要なものを取り入れていけば、感覚自体も磨かれていくはず。
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by 硲 允(about me)
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