「ガラケー」や「スマホ」という言葉が好きになれない理由。言葉の背後にある狙い(意図)について

「よりよい世界をつくるために言葉を使いたい」。なんて言うと大げさだけど、言葉には人間の価値観や物理的な現実をつくり出していく力がある。

前から頭に引っかかっていた身近な言葉に、「ガラケー」「スマホ」という呼び名がある。



ぼくは今もいわゆる「ガラケー」を使い続けているわけだけど、初めてこの言葉を聞いたとき、自分が持っているものを侮辱されたような気がした。

「ガラパゴス+ケータイ」で、もう絶滅に近い昔のケータイ、ということだろうけど、今まで称賛し、輝かしいイメージを打ち出して必死で売ってきたケータイを、今になって手のひらを返したように「過去のダサいもの」扱いして、次の新しい機器を売りつけようとしているようで不愉快だった。(ガラケーという言葉を考え出したのはケータイ会社なのか誰なのか知らないけれど・・・)

「ガラケー」に対し、新しい機器に付けられた呼び名は「スマホ」。「スマート」な「フォン(phone:電話)」というわけで、呼び名自体が「ほめ言葉」になっている。新しい機能が加わった機器について良いイメージを打ち出して買わせようとしているような意図が感じられて、「スマホ」という言葉も好きになれなかった。「スマホ」という字の並びや音も「下世話」な感じがする。

驚いたのは、「スマホ」は「ケータイ」ではない、とされていること。今までの「ケータイ」は「ガラケー」と呼ばれるようになり、「スマホ」はケータイとは別物だとカテゴリー分けされているのを知り、これも販売戦略だろうと感じた。「ケータイ」(ガラケー)はもう時代遅れのものだと思わせ、新しく登場した「スマホ」への買い換えを狙った言葉の操作のように思えて、「スマホ」という言葉がさらにイヤになった。

「スマホ」が生まれて新しく備わった機能を必要としている人が、自分の判断で購入するのはいいと思うけれど、以前のケータイの機能でこと足りている人まで、印象操作によって何となく「スマホ」に買い換え、新しい機能を使いこなすどころか機能に従えられてネットサーフィンやゲームで時間を浪費するようになっては悲しい。

ぼくは今のところ、インターネットはパソコンで充分だし、ナビはなくても紙の地図を持ち歩けば目的地にたどり着けるし、ゲームもアプリも必要ないので、インターネットもEメールも使えない契約のケータイを使い続けている

新しいものが生まれ、新しい言葉(呼び名)が使われ始めたら、その背後にどんな狙いや意図があるのかよく考え、自分がほんとうに必要としているものだけを取り入れるようにしたい。


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by 硲 允(about me)
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