自分の興味やしてきたことを話すと、「材木屋さんなんですね?」と言われたことがある。
どういう脈略なのかまったく理解できず、ちょっと間があった後、「いえ、材木屋はやってないです・・・」と真顔で返事した。真面目に返されて相手の方も困ったような表情で、「きが多いってこと」と言われた。「木が多い」→「気が多い」、ということらしい。なるほど! 瞬時に理解するにはレベルの高いジョークだった。
「興味・関心の幅が広い」というのはいいことだと思うけれど、「気が多い」というのはちょっと危ういところがある。「気が多い」という言葉は、辞書(広辞苑 第五版)によると、「あれこれと気をひかれるものが多い。移り気である」と定義されている。
気持ちが定まらずにあっちこっちへふらふら流されていると、観賞や消費する一方で、自分でものを生み出していけなくなりがち。
ぼくは高校生の頃から英語が好きになり、大学の頃は通訳者になることを目指していたが、途中からビジネスのコンサルティングや起業に興味が移り、その後、文学や芸術の世界に転向し、農や暮らしの手仕事への関心も高まり、最近は土の家づくりや木のスプーンづくりなど、ますます気になることやしたいことが増えてきた。
好きなことがありすぎる場合、どうすればいいのかという記事を先日書いたけれど、ぼく自身、今までいろんな興味の対称を気ままに渡り歩いてきて、一つひとつちゃんと「ものにする」までやり遂げてこれなかったことが多いという反省がある。
翻訳は大学の頃から今までずっと続けてきて、香川に移住してからは手製本をつくり始め、野菜や米を育て、家の改装や庭仕事など、いろいろしてきたけれど、優先順位をつけて計画的に進めればもっとできたのではないかという気はする。気の向くまま手あたり次第に、というのではムダが多く、物事が整理されていないと学びも遅くなりがち。
自分はこれだ、という一つ定まったことがあり、脇目も振らずそれに取り組めたらいいのに、と思うこともあるけれど、ぼくはそういうタイプではなさそう。そういう場合、材木屋さんが一本一本の木をよく見て用途を定めるように、興味のあることやしたいことをよく見つめて、一つひとつ確実に組み立てて、自分の望むものをつくり上げていくことが重要だと思う。材木屋さんが好きな木をどんどん集めてきて、その辺に整理せずに放置して時々触ったり少し切ったり削ったりするくらいでは何も生まれないのと同じように、興味のあることをため込んでも、自分の気持ちがあっちこっちへ行って思考も行動も定まらなければ何も生まれない。
「気が多い」人は特に、物事に優先順位を付け、計画的に進めていくことが大事だと思う。優先順位や計画性が大事、というのはよく聞くことで、特に目新しい感じはしないけれど、ちゃんと実行できているかどうかというと、できていないことが多い。そういう基本的なことができているかどうかで、自分の望むことが実現するスピードがずいぶん違ってくるように思う。
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by 硲 允(about me)
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