他人と「競争」するよりも「協力」したほうがお互いに幸せになれるはず


現代社会では、子どもの頃から「競争」がつきもの。

テストの成績で優劣をつけられ、かけっこで順位が付けられ(最近は手をつないで一緒にゴールする、なんていう話も聞くけれど・・)、進学先の学校の偏差値で比べられ・・・。

そういう社会の中で生きていると、他人と比べるのがクセになる。

ぼくの即興の話と歌がもとになってできた本「おはなし仙人」にこんな一節がある。


「前に倣えとかいちばん嫌いよ。見たらわかるよ、間隔らて。手ぇ伸ばさんでも。ほんで一回手ぇ伸ばしたらいいしね。そっから何分間も手ぇ伸ばしとかなあかんなんてね。見たらわかるよ、間隔らて。ほんで、前の奴な、腰に手ぇ当てるしね」
「あれはやれって言われるんやろ、格好つくからって」
「横の間隔とるんよ。そういう意味もあるね。今度横にも倣うんよ。前に倣って、前の奴まちごうてたらどうするんよ。一個途中で間違ったら、全部間違ったとこへ行ってまう。あんなん教えるのが、まずおかしいね。好きなところに立っといたらいいんよ。背の順っていうのもおかしいね。好きな順で並んどいたらええんよ。高い奴はなんか偉くなったような気になるしね、ほんで、低い奴はなんか自分ちょっと悲しいみたいになるし、低て何が悪いんよ、高て何が偉いんよ。真ん中普通やてよ」



ぼくが学生の頃は、さすがに「背の順」はまずいと思ったのか、途中から「名前の順」になったけれど、背の高さでまで比べられる。そしてなぜかたいていは高いほうがいいとされる。

そんな社会で育つと、常に他人と比べてしまいがちだけど、比べて「勝った」気になったところでたいしたことはない。誰かに何かで勝ったところで、自尊心が大きくなっていくくらいもので、たいして幸せにはなれないと思う。それを自慢に思う身内が喜んで同じく自尊心を膨らませたり、身の回りの人が表面的に誉め讃えてくれながら心の中で羨ましがっているか、そんなところだろう。

お互いに競争して、勝ってもたいして幸せにならず、負けてみじめな気持ちになるくらいなら、協力してお互いに幸せになるほうがいい。

そのためには、子どもの頃から叩き込まれてきた、比べて優劣をつける、という習慣を手放さないと難しい。

自分より幸せな人がいたからといって、その分自分が不幸になるわけではない。有限な資源やモノの奪い合いで、一部の人間が独り占めすると残りの人間に少ししか回ってこない、ということはあるが、それは幸せとは必ずしも関係ない(幸せそうな大金持ちを見たことがない)。

人間、本当に幸せになれば、他の人間のためになることがしたくなるものだと思う(あるいはその逆で、他の人間のためになることをしているから幸せになれる、ということもある)。幸せな人間が増えれば、幸せの「おこぼれ」が周りの人間に回ってくる。経済のトリクルダウンは起こらなかったが、幸せのトリクルダウンは期待できるかもしれない。

だから、周りの人間との「幸せ度合い」を比べるよりも、自分がどうあれ、周りの人間がより幸せになれるように協力したほうが、結局は自分もより幸せになりやすいのではないかと思う。そして、自分が十分に幸せになってから他人の幸せのために協力するよりも、自分がたいして幸せではないうちから他人の幸せのためにできることをしていったほうが、お互いにより早く幸せになっていけるのではないかと思う。


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by 硲 允(about me)