映像記憶(写真記憶)は後天的に身に付く? 訓練してみようと思う



「映像記憶」(「写真記憶」や「直観像記憶」などとも呼ばれる)という言葉があるのを最近初めて知った。見たままをそのまま映像として記憶することや、そのような記憶のことをいうらしい。

子どもの頃はその能力が優れているけれど、大人になるとたいてい衰えてくるとのこと。先日、七島草履づくりのワークショップに参加したときに聞いた話を思い出した。子どもの中には、片方の草履のつくり方を教えたらもう片方は教えなくても覚えていて自分で作れる人もいるという(ぼくには到底無理だった)。子どもたちは見たままを映像として覚えているのかもしれない。大人は理屈で考えながら見ているけれど、結局覚えられない。

相方はぼくよりも映像記憶が優れていて、街で見かけたものなどをよく覚えている。ぼくはついさっき会った人がどんな服を着ていたかすら思い出せないことが多い(というよりも、そもそも服装が見えていない)。相方は子どもの頃から絵をたくさんかいてきたのもよかったのかもしれない。

大人になってからも映像記憶がずば抜けて優れた人もいるらしい。ネットで調べていると、山下清や三島由紀夫などが例に挙げられていた。小説家の志賀直哉もはるか昔の出来事をはっきりとした映像で見るかのように鮮明に描写している。

生まれつきの才能のようなものも大きいかもしれないけれど、映像記憶は訓練でも鍛えられるようだ。1800年代にフランスで活躍したロベール・ウーダンというマジシャンは、ショッピングウィンドウをぱっと見て、あとから何も見ずにそこに陳列されていた物を紙に描くという訓練を行った結果、最初は少ししか覚えられなかったのにそのうち詳細に覚えられるようになったらしい。こういう訓練なら日常のちょっとした時間で簡単にできる。ちなみに三島由紀夫はカメラを持ち歩かない主義で、自分の目で一瞬の風景を捉えて記憶していたらしい。

「映像記憶」というのは、その言葉すらほとんど知られていないし、その能力について語られることが少ないけれど、芸術の分野に限らず何をするにしても大事な能力ではないかと思う。

そういえば、一時、フォトリーディング(速読)の練習をしていたのを思い出した。


[新版]あなたもいままでの10倍速く本が読める( ポール R.シーリィ (著), 神田 昌典 (監修), 井上 久美 (翻訳) )

一字一句読むのではなく、ページ全体を見て目に焼き付け、無意識レベルの認識も活用する。練習を繰り返していると、たしかに効果は見られ、本の大まかな内容を短い時間で把握できるようになった(結局、自分の頭で考えずに大量の情報をそのまま無意識レベルで取り込んでしまうのは危険だと思ってやめたけれど)。その練習をしていた時期、職場で数百個あるハンコの中から目的のハンコを一瞬で見つけられたことがあり、目の使い方を鍛えれば速読以外にも効果があることを体験した。

「見る」にしろ、「聞く(聴く)」にしろ、普段、何となく使っている感覚は、何となくしか使えておらず、大人になってからでも工夫して鍛えれば思いもよらぬ能力が開花してくるかもしれない。

とはいえ、そうした訓練にもけっこうな時間がかかる。能力を高めること自体を目的にすると能力に溺れたり迷走したりしがち。自分が何をしたくて、そのためにどんな能力が要るのかを考えるところから始める必要があると思う。


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by 硲 允(about me)
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