「前提」の違いを乗り越えるには想像力と思いやりが必要。


近所のホームセンターでは、買ったものを家に運ぶために軽トラックを無料で貸し出している。先日、その店でカセットボンベを7セット(21本)買い、軽トラを借りようとすると、いぶかしげに「車に(ボンベが)乗らないんですか?」ときかれた。

「自転車なんで」と答えると、「なるほど、そういうことですか」と納得してくれたようだった。

この店を訪れる人はたいてい車で来るようなので、車をもっていないのかもしれないという前提を思いもしなかったのだろう。疑いの目を向けられて少し不愉快だったが、悪気があるわけではないのでたいして気に留めなかった。

自分とは前提が違う可能性を考えながらコミュニケーションするというのはなかなか難しいことなのかもしれない。先の例で言うと、乗用車に乗りそうなモノを買って軽トラを借りるとは、車で来ていないのかもしれない、という前提を考えついたなら、「自転車ですか?」ときけば質問の目的は果たせるし、きかれたほうも気分を害さなくて済むけれど、咄嗟に自分の前提をもとに話して、後から「もう少しよく考えればよかった」ということはある。

世間的な価値観に染まりきっている場合、相手が自分とは異なる前提をもっていると予想しづらいので、自分の前提を相手に押し付けてしまう傾向が強いように思う。「結婚したら幸せになれる」、「幸せな人生を送るにはこどもをつくることが必要」、「お金をたくさん稼げば幸せになれる」、「高学歴の人は賢い」・・・。そういう場合もあるけれど、そうでない場合もある、という場合分けができずに自分の前提を相手に押し付けてくる相手はなかなか厄介だ。

それに、自分の現状に不満を抱えている人ほど、相手に自分の前提を押し付ける傾向が強いようにも思う。そういう場合、反論しようにも率直に言ったら相手を傷つけてしまいそうで返事に困ることがある。

世の中、人間の幸せにつながらないような前提があちこちに転がっている。出る杭は打たれる環境で生きていると、世間の前提を疑わないほうが何となく平穏に暮らしていきやすいかもしれないけれど、長い目で見るとどうだろう。

自分が信じてきた前提を一刀両断されるとたいてい腹を立てる。新しい前提をこれ見よがしに示されても腹を立てる。相手がもっている前提と違う前提を示したいときは、相手を楽しませ興味をもってもらう工夫が要る。


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by 硲 允(about me)
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