「財布は3年で買い替えたほうがいい」?情報や知識とどう付き合うか

風水では、財布は3年くらいで買い替えたほうがいいとよくいわれるらしい。でも、3年くらいで買い替えるのはもったいないと思い、これまでくたくたになってみすぼらしくなる頃まで使ってきた。

今使っているのは、革職人の父が初期の頃に作った財布(現在、デザイナーの弟と一緒にH&Craftmanshipという工房で制作中)。



最初、ぼくにはいかつ過ぎるような気がしたけれど、使っているうちに馴染んできた。この調子だと、3年くらいではへたれてこなさそう。


ある時、相方が、風水でそう言われるのは、昔は布の財布だったからだろう、とひらめいた。相方がちょうど3年前くらいに買った布の財布の小銭入れの部分が最近やぶれた。たしかに布だと3年くらいでほころびが出てきそう(相方は小銭入れの中に小さながま口を入れて使い続けている)。

この話から、「何かでそういわれているから」とか「(有名な・すごいとされている)誰かがこう言っているから」といって鵜吞みにせず、自分の頭で考え、自分の感覚で確かめることが大事だと思った。

本や話などから得られる情報は常に100%正確、というわけではない。自分の頭で考え、自分の感覚を通じて確かめたところで常に真実にたどりつけるわけではないけれど、自分の外側から得られる知識と自分の内側での思考や体験をバランスよく行き来する必要があると思う。知識に偏りすぎると頭でっかちで地に足がつかなくなるし、地に足がついていても知識が不十分で視野が狭い、という場合もある。

SNSのタイムラインばかり見ていると、不確かな情報がどんどん増えてきて消化不良になる感じがする(ので、最近はほとんど見なくなった)。気になることは山のようにあるけれど、本当のところや詳しいことはわからないし、自分が手を出せることも限られている。頭の中はごちゃごちゃしてくるけれど、画面を眺めていても現実は変わらない。とはいえ、必要な情報が得られることもあるので、完全にサヨナラはせず(facebookは一度退会したけれど)、使う範囲を抑制している。

情報が増えると、それとの付き合い方が難しくなってくる。基本的には、自分が何を必要としているかを考えて(感じて)、それを念頭に置いたうえで情報に触れるのが大事ではないかと思う。食事でいえば、カレーが食べたいと思っていてレストランに行けば簡単にメニューを選べるけれど、お腹がそんなに空いていないし何でもいいと思ってメニューを開いても、ワクワクしないしどうでもよくなってくる。お店の一押しメニューを頼んだら値段が高いだけで大して美味しくなかった、ということにもなりかねない。


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by 硲 允(about me)
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