禅道場の典座(てんぞ)と、料理にこもる気持ちについて。



『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(松本圭介 著)という本を読んでいると、次のようなくだりがあった。

禅道場での食事の役(食事をつくる役職)は典座(てんぞ)と呼ばれ、これは「悟りを求める深いこころを起こした人だけが、役にあてられてきた職」として、重要な役目を担っています。(p. 46)



この部分を読んで、食事にはつくる人の気持ちやエネルギーがこもり、それが食べる人にも影響を与えるからかもしれないと思った。心がけのわるい人が乱れた心で料理をすると、それを食べた他の人にも悪影響が及ぶかもしれない。

食べる人のことを想って、心を込めて手で握った「おむすび」は美味しい。コンビニのおむすびは、子どもの頃に時々食べると美味しく感じたが、毎日のように食べていると空しくなってくる。

急いでいるときに慌てて料理をすると、塩加減がおかしくなることがよくある。料理をするときの心持は必ず料理に反映する。腹を立てたりイライラしながらつくると、料理にもそうした気持ちがこもる。そんな料理を食べるのはイヤなので、料理をするときはなるべくポジティブな気持ちでつくるように心がけている。

お店で売っている食べ物も、つくっている人が楽しそうだと、美味しいことが多い。同じような材料を使っていても、つくり手が楽しく明るい気持ちで作っていると、味が違ってくる。特別にこだわった小麦粉を使っているわけでもなさそうで、酵母も市販のイーストを使ってそうなパン屋さんでも、 厨房の雰囲気が楽し気なお店のパンは美味しい。

食べ物屋さんに行くと、厨房を見て作ってくれている人の表情を確認することがある。食べものを扱っているようには思えない手つきでつくりかけのものをポイっと投げているような様子を見たときは唖然とする。

料理をして、自分が食べるだけではなく、誰か他の人にも食べてもらう場合は責任重大。「悟りを求める深いこころ」までは難しいかもしれないけれど、食材に感謝し、食べる人のことを想い、なるべく丁寧につくりたい。


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by 硲 允(about me)
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