本質を見極め、自分が本当に必要としている作品に触れることについて


文学に興味を持ち始めた頃、「自殺した人のものは読まないで」とよく相方に言われた。

ぼくはどちらかというと他人の影響を受けやすいほうなので、そういう警告をしてくれた。

世の中には文学に限らず、いろいろな作品があるが、幸せに生きた(あるいは幸せに生きようとした)人間の作品に触れたいとぼくも思っていた。

若い頃は特に、他人の影響を受けやすい。他人の価値観や感じ方をすんなりと自分に取り入れやすい。

勤勉で楽しく生きている人が、文学の影響で「堕落するのがかっこいい」と思って、自堕落な生活に入ってしまうケースもあるかもしれない。

ポジティブなものにだけ価値があるとは思わない。ネガティブな気持ちになった人が、ネガティブなものに触れることで、心が癒されることもあるのかもしれない(経験したことがないのでよくわからないけれど)。

とはいえ、幸せに生きるうえでネガティブなものを必要としていないのに、わざわざネガティブな作品に触れて自分の気持ちをネガティブな方向に傾けるのは馬鹿げていると思う。

人間が共通して望んでいるのは、「幸せに生きること」だろうと思う。そのために自分が必要なものを精査して味わわないと、美味しい料理にわざわざ苦い調味料をかけて台無しにしてしまうようなことになりかねない。

世の中には、「美味しい玄米」のような作品が少ない。美味しい玄米を育てるには、土を育て、草をよく手入れし、豊かな太陽光やきれいな水、それに、周りのいろいろな種類の植物や虫たちなど、現代人の知識では及ばない複雑な環境が整ってこそ可能になる。

やせた土地に化学肥料をぶっこんで無理矢理育てたお米を精米し、舌先を喜ばせる調味料と意外な組み合わせの野菜を加えたチャーハンを出せば、お客は喜んで帰るかもしれないけれど、そのうち飽きられるだろう。

表面的なものに惑わされずに本質を見極める力と、自分が本当に必要なものを見極める力。その両方が大事だと思う。


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by 硲 允(about me)
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