複数の人間が一緒に仕事をすると、誰が何を望んでいて何をしようとしているのか、よくわからなくなってくることがある。
わからないまま放置しておくと、お互いに不信感がつのってくるので、なるべくはっきりさせておきたいと普段から思っている。
特に、下請け的な仕事をしていると、頭を悩ますことがある。たとえばAさんに原稿を以来し、ぼくはそれでOKだと思っても、発注者が後から修正を求めてくるようなことがある。発注者は、ぼくが間に立つので注文が大胆になってきやすい(このときもそういう傾向が見て取れた)。そういう心理は想像できるので、牽制するために、ぼくはあるとき、発注者の名前を挙げて、「誰々さんがこう言っているのですが・・」とAさんにそのまま伝えた(発注者とAさんは知り合い)。Aさんは修正依頼の意図がよくわからない様子だったけれど、発注者と直接やりとりをして決着がついた。こういうときに、発注者から修正依頼があったことを黙っておいて、ぼくの思いつきで修正を依頼した形にすると、Aさんは「なんで今さら?」と思って不信感を募らせるだろう。発注者の名前を出すのは、当然責任転嫁ではなく、事実を伝えているだけで、フェアなことだと思うけれど、発注者に遠慮して角が立つのをおそれて黙っておく人もいるかもしれない。ぼくは発注者が怒ってきたとしても、怒るのが的外れだと思うし、自分はこういう仕事の進め方をします、ということを示そうと考えた。発注者はやはりぼくの行為が意外だったらしく、慌てた様子で、以来、無理な修正依頼が来なくなった。
複数の人間が関わって仕事をする場合、自分の仕事の領域が曖昧になって責任を押しつけ合ったり、気まずいことは他人のせいにしたり、ということが起こりがち。自分の責任の範囲が薄れると、責任感も薄れ、自分が誇りをもってできないことに手を貸しつつ知らんぷり、ということになりやすい。
何事に関しても、誰が何と言い、何を望み、何を求めているかをはっきりさせ、風通しをよくしておいたい。悪巧みをした人間が陰に隠れて、お人好しが知ってか知らずか言いなりになって損をしたり痛みを被ったりしている、というのはフェアではない。
すべて明るみになっても構わない、という前提でいれば、見えなければいいや、ということにはなりにくい。プライベートなことなど、何でも明るみにすればいいというわけではないけれど、「バレなければいいや」という自分への甘えや他人への侮りは美しくない。
他人を無闇に傷つけないために小さなウソをつくこともたまには必要かもしれないけれど、なるべくなら正直でいたい。それは、小さなところから始まるように思う。
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by 硲 允(about me)
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