「ブログ始めてポジティブになったんじゃない?」と相方に言われた。
たしかにそういう気がする。ブログの記事は、全体としてはポジティブなものを書きたいと思っている。せっかくブログを訪れてくれた方が、時間をかけて記事を読んでくれて、読み終わったあとでネガティブな気持ちになってしまうのは申し訳ない気がする。
もちろん、全部の記事がそうとは限らないだろう。読んで反感を抱いたり違和感を感じたりする箇所もあるかもしれない。人間、それぞれ考えや価値観が違って当然で、他者の自分とは異質なところから学んでいくものだから、誰でも賛成できるようなことばかり書いても面白くないから、これは人によっては気分を害するかもしれない、ということを書くこともある。とはいえ、不必要にお互いの気分を害することなく、なるべくならポジティブな気分でお互いから学び合いながら、自分の望む方向へ変化していきたいと思っている。ブログもそういう書き方をしたいと思っている。
何か意見を言うときに、それと反対の意見を否定する癖があることにブログを書き始めてから気づいたが、最近は反対意見に対する「攻撃」は必要最小限にするように心がけている。自分の考えを否定されると腹を立てて、もうその時点で相手の考えを受け付けなくなりがちだし、他方、自分と同じような考えを持つ人を見つけて、反対意見の人を一緒になって否定して喜ぶ、というのも美しくない。
個別的な物事に対する個人の考えというのは、所詮、誰かの受け売りであったり、自分の立場上の個人的な利害関係から意識的・無意識的に導き出されたものである場合が多い。些末なところで意見を対立させているよりも、もっと大きなところで和合できないものだろうかと思う。
結局、人間が共通して願っていることは、「幸せに生きること」。そして、自分が幸せに生きるには、他者の幸せも欠かせない。ここでは利害関係が完全に一致している。それなのに、自分だけ得をしようとする人間が世の中にはいて、例えばお金のことを一つをとってみても、一部の人間が世界のお金のほとんどを所有しているが、一人でそんなにお金を持っていても使うアテがないし、失うことや奪われることを恐れて不安の中で暮らしているかもしれない。
人間全員が幸せに生きるには、地球上の資源を公平に分け合い、他人の迷惑にならない範囲で各自の創造活動を楽しんでいくことが大事だろうと思う。
人間全員が幸せに生きるための資源は実は十分にあるのではないかと思う。一部の人間が独占したり、もっと欲しがって奪ったり、奪われ尽くした場所で生まれ育ち、生きていくためには力ずくで取り戻す必要性に迫られたりして、世の中、争いが絶えないけれど、争い続けるのが人間の本性ではないはず。本当の幸せとは何かを悟り、それを実現するための方法を考え、そのステップを着実に踏んでいけば、世界は今よりずっとまともな場所になるのではないか。
話は大げさになったけれど、ぼくは根本的にはそういう変化を生みたくて、日常のささいなことを書き続けている。大きな変化を生むには時間がかかる。じれったくて何か(誰か)を攻撃し始めると、結局は自分も世界の争いの一部となってしまう。ゆっくりと、ポジティブに変化していきたい。
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by 硲 允(about me)
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