ネガティブな現実には目を向けなくていい? 「引き寄せの法則」のよくある勘違いについて。

「スピリチュアル系」の本をよく読んでいる人のなかには、世の中で起こっているネガティブな情報を見るのを避けている人がいます。ぼくも、「引き寄せの法則」を中途半端に勉強していた頃はそうでした。

エスター・ヒックスさんとジェリー・ヒックスさんが、見えない存在である「エイブラハム」の言葉を伝えた「引き寄せの法則」の原典には大事なことが書かれているとぼくは今も思っていますが、本屋に行けば山のようにある「引き寄せの法則」関連本には、もともとのエイブラハムによる言葉を正確に伝えずに曲解しているものがあるようなので、「引き寄せの法則」を学ぶなら、まずは原典に当たることをおすすめします。



「引き寄せの法則」の曲解でよく見られるのは、戦争や飢餓など、世の中で起きている悲惨な出来事にどう向き合うか、という話です。

ちょっと前のぼくのように、「ネガティブな情報にはなるべく触れず、自分が楽しくワクワクしてポジティブな気持ちでおりさえすれば、そのポジティブな波動が広がって世界の平和につながっていく」、と考えている人が結構いるように見えます。

後半の「自分が楽しくワクワクしてポジティブな気持ちでおりさえすれば、そのポジティブな波動が広がって世界の平和につながっていく」というのは、その程度はさておき、間違いではないと思います。問題は、前半の「ネガティブな情報になるべく触れず」というところです。

「引き寄せの法則」では、意識や思考を向けたものが引き寄せられる、とされています。だから、戦争や飢餓など、望まない現実に意識や思考を向けることは、それらを引き寄せることになる、と考えるわけです。そこで短絡的に、では戦争や飢餓のない世界をつくるには、そういうことを見たり聞いたりするのをなるべく避け、平和な世界を思い描いて祈っていればいい、という結論を出してしまう人がいるのですが、ここに「引き寄せの法則」の誤解があるように思います。

たしかに、戦争や飢餓の状況に思考や意識を向けつづけ、毎日怒ったり悲しんだりしているだけでは平和は生まれないと思います。ただし、そこで留まっていてもダメだというだけの話で、望まないものに意識や思考を向けていると思ったら、意識や思考を切り替えて、平和を望むのなら平和を祈り、平和のための行動を起こしていけばいいわけです。

「望まないものに意識や思考を向けない」というのは、望まないが事実としてこの世で起こっているできごとを無視する、というのとは違います。ポジティブなこともネガティブなことも含めて、現実として起こっているあれこれを直視したうえで、自分がこの人生で何をしたいか、何を生み出したいか、を自分の意思で決めて生きていく自由が人間には与えられています。

自分が望まない現実をつくらず、自分の望む現実をつくりあげるには、「望むことに意識や思考を向ける」というのは、その通りだと思います。

ただし、「望まないことに全く意識や思考を向けない」「望まないことは無視してポジティブなものだけに意識や思考を向けていればいい」というのは、「引き寄せの法則」の曲解だと思います。

自分の望まないものが存在するからこそ、自分の望むものが何なのかがわかるのです。この世はもちろん、自分の意思だけで成り立っているわけではありません。自分を含め、地球上の全員の意思が合わさって、この地球のあらゆる現実がつくられていきます。

他人の意思によって、自分が望まない現実が自分にもたらされる可能性があるわけです。「引き寄せの法則」を純粋に適用して、「自分が望むものだけに思考や意識を向けていれば、自分の望まないものは現実にならないはずだ」と言いたい方もいるでしょう。しかし、完璧に自分が望むものだけに思考や意識を向けて生きてきた人間はこの世にほとんど存在しないでしょう。人間は胎児の頃や生まれて間もない赤ちゃんの頃から、他者の言葉や思考を受け、それを取り込んでるそうです。完全な楽園で育った子どもでない限り、子どもの頃からネガティブな言葉や思考や波動に触れているわけです。大人になって、本を読んだりセミナーで教わったりして「引き寄せの法則」を学び、さて、毎日ポジティブな気分でいよう、と心掛けたところで、その後の人生で完全にポジティブな現実しか経験しなくなる、というのはほとんど不可能です。

自分の意思と他人の意思が合わさって、この世界のあらゆる現実がつくられている、と書きましたが、他人の意思の関与が少ないところでは、自分の思い通りの現実をつくっていきやすいわけです。

一番簡単なのは、自分の身体や健康のことだと、エイブラハムが話していました。自分が食べるものを自由に選べない環境で暮らしている人もこの世界には数多くいますが、日本では、毎日何を食べるかを自分で決められる人が比較的多い。そういう環境では、自分の意思次第で、自分の身体の健康状態を変えていきやすいでしょう。

ただし、エイブラハムが一番簡単だと言うこのことですら、他人の意思が大きく関わっています。お店で買ってくるその食材が、どういう原料を使ってどういう材料でどんな思いでつくられているか…それは他人の意思によってなされたことです。食品を選ぶ自由は自分にあるとはいえ、その選択にあたっては、自分の「思考」を使って入念に選ばないと、例えば他人の意思や思考によって人体に有害なものが入っていたとして、それを自分が知らず知らずのうちに、望まないのに食べてしまう、ということがあるわけです。ここをまた短絡的に、「ポジティブで楽しい気持ちで感謝して食べれば、人体に有害だと誰かが思考している現実は自分の現実にはならない」なんて言い出す人がいるかもしれませんが、それはまたもや、「引き寄せの法則」を純粋に活用できた場合の話で、そんなことは常人にはほとんど不可能なわけです。人間の想いや意思で物質に影響を与えることができるというのはぼくも信じますが、その力量を自分で見定める必要があります。

「引き寄せの法則」にせよ何にせよ、これはその通りだと思ったとしても、ちゃんと理解できているかどうかわからないし、ある程度理解できたとしても、頭で理解するのと自分が実践するのとではまた別ものです。簡単にわかった気にならずに、少しずつでも実践を重ねて経験のなかで確かめながら自分の理解を深め、学んでいくべきだと思います。そういうぼくも、「引き寄せの法則」をまだそんなにうまく活用できているとは思わないし、学んでいる最中です。


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