By Philipp Fehl, via Wikimedia Commons |
「何者になるか」ではなく、「何をしたいか」「何を生み出したいか」に意識を向けるといいのではないか、とこのところよく思います。
ぼくもかつては、「通訳者」になりたいとか、「経営コンサルタント」になりたいとか、「何者」かになることを目指していたことがありますが、「職業的な枠組みや形」に囚われすぎると、そもそも自分が何をしたいかを忘れたり見失ってしまうことがあります。
ぼくは高校生の頃から英語が好きになり、当時は、英語を一生勉強し続けることができれば自分の人生は満足だと思っていました。大学生になった頃から、英語以外にもいろいろと関心が広がり、世の中のさまざまなことを勉強しながら英語の勉強も続けられる「通訳者」という仕事はぴったりだと思っていました。通訳者のなかには、環境や金融、医学など、専門分野を決めてその分野の通訳に集中する人もいますが、さまざまな分野を扱う国際会議などで通訳する「会議通訳者」や、何の話題が出るか予想もつかないニュースを即時に訳す「放送通訳者」の場合、あらゆる分野に対応できる必要があり、そういう通訳者を目指していました。
当時のぼくは、どんな話を訳したいとか、それによって世の中にどんな変化をもたらしたいとか何を生み出したいとか、そういうことはこれっぽっちも考えていませんでした。「通訳者」になる主な目的は、(そう意識していたわけではありませんが)自分が英語を勉強し続け、能力を高めていく楽しみを味わい続けることだったと思います。
大学生のときに3、4年、通訳の勉強を続け、「果たして自分は通訳者になれるのだろうか」という疑問が常につきまとっていましたが、そろそろ卒業という頃になって、「このまま勉強を続けていたら、通訳者になれるだろう」という自信がでてきました。そうなってみると、自分はこのまま一生英語の勉強に明け暮れて、それでこの人生、幸せなのだろうかという疑問が沸いてきました。
その頃、経営コンサルタントの大前研一さんの『ザ・プロフェッショナル』という本を読み、誰かの言葉を訳すだけでなく自分の考えをつくっていくような仕事がしたいと思い、あっさりと方向転換しました。
しかし、またもやぼくが意識を向けていたのは、自分の能力や、自分が何者になるかであって、その能力を使って、あるいは自分が何者かになってそれで何をしたいのか、ということには考え及んでいませんでした。
その数年後、結局ぼくは企業の経営のお手伝いをしたいわけではないことに気づき、「経営コンサルタント」を目指すことはやめました。
その頃から文学に興味をもち始め、ようやく自分が「何を生み出したいか」ということを考えるようになりました。小説や随筆を書きたいと思いましたが、「小説家」や「作家」になりたいというふうにはあまり考えませんでした。そして、いざ書くとなると、自分が何を書きたいのか、何のために書くのか、ということに向き合わざるを得ません。
一時、ぼくは「文章を書くこと」を自分の仕事にしていこうという思いに凝り固まっていたことがありますが、ここのところ、文章は世の中に何かを生み出していくための一つの手段だという思いが強くなり、文章によって何をしたいのか、というその先にある目的に前よりも目を向けられるようになり、世の中に対する関心も広がり、その結果、書きたいことも増えてきたように感じています。
「何者になるか」ではなく、「何をしたいか」「何を生み出したいか」…そこに意識を向けて、日々の活動を行っていきたいと思っています。