By Edmunddantes (Own work), via Wikimedia Commons |
先日、「悪口」と「健全な批判」は違うという記事を書きましたが、「健全は批判」をするためには、ある程度、「自分のことを棚上げする」必要があるし、それも大事なことだと思います。
前にアルバイトで務めていた会社では、ときどき、全社員が集まる集会がありました(アルバイトの人は参加できませんでしたが)。同じ部署の人が、その集会で毎回、経営陣に積極的に質問して切り込んでいくけれど、自分の仕事の締め切りも守れていないのに・・と他の人に陰で言われているという話を聞きました。
だけど、会社の経営全体の議論と、自分の仕事が遅れていることは別の話であり、「自分のことすらちゃんとできてないのに、経営のことなんか口出しできないよな・・」となるのではなく、いったん「自分のことを棚上げ」してものを言える能力は大事だなぁと思いました。
真面目な人や潔癖な人は、何かや誰かを批判する前に自分のことを省みて口を閉ざしてしまう傾向が強いように思いますが、権力やお金や利益ばかり追求する人は、自分の行いを恥じるそぶりさえ見せず、平気でウソをついたりごまかしたりして、さらなる権力やお金や利益を得るために言葉を巧みに使い、全力で行動していくものです。
そういう勢力に対抗するには、他人を犠牲にしてでも自分たちだけ得すればいい、などと思っていない人たちが、もっと声を上げていく必要があるでしょう。手持ちの仕事が遅れているとか、まだ勉強不足だとか、そんな立派な人間ではないとか、自分も同じようなことをしているとか、同じようなことをしかねない心が自分にもあるとか、そんなことはひとまず「棚上げ」して、勇気を出して批判すべき相手や対象を批判していくことが大事だと思います。
平和で平等で健全な世の中をつくっていくためには、権力者がつくりあげてきた固定観念や束縛や支配体制から抜け出し、一人一人が自分の心の声をカタチにし、誰かの期待や望みではなく自分の本当の希望を叶えるために行動していくことが必要だと思います。