悲劇にあう小さな子どもはそれを選んで生まれてきた? 「引き寄せの法則」の勘違い。

先日、「スピリチュアル系」のワークショップで、次のようなことを言われた方がいました。

「人間というのは自分を選んで生まれてきたの。だから、戦争などの悲劇にあう小さな子どもは、かわいそうなんじゃなくて、それによって何かを伝えにきたのかもしれない」

「スピリチュアル」系の本やワークショップばかりに触れている方のなかには、そういう考え方をする人が結構多いのかもしれません。

とっさに反論できずに後から悔やまれたのですが、こういう考えは「引き寄せの法則」などの曲解だと思います。

エスター・ヒックスさんとジェリー・ヒックスさんが、見えない存在である「エイブラハム」の言葉を伝えた「引き寄せの法則」の原典を読むと、人間は肉体を持った物理的な存在としてこの世での人生を楽しむために生まれてきて、この世に誕生する前には、いわゆる「引き寄せの法則」を使って自由に楽しく幸せに生きられると思ってこの世に生まれることを決めるけれど、いざ肉体をもった人間として生まれてみると、生まれる前の記憶はなくなり、「引き寄せの法則」を忘れてしまっている、というようなことが書かれていました。(※本を確認しながら書いているわけではないので、正確なことを確かめたい方は原典をお読みください。このことがどの本に書かれているのか忘れてしまいましたが、日本語版のシリーズ1巻目は以下です)





仮にエイブラハムの言っていることが正しいとすると、「人間というのは自分を選んで生まれてきた」というのはそうかもしれませんが、「だから、戦争などの悲劇にあう小さな子どもは、かわいそうなんじゃなくて、それによって何かを伝えにきたのかもしれない」というのは誤りだということになります。

肉体を持って生まれてきた人間が「引き寄せの法則」を法則を忘れてしまって不幸な目にあっているのを見ていられなくて、見えない存在であるエイブラハムが語りかけてきたわけです。「引き寄せの法則」を曲解しているどころか、真逆のことになってしまっています。

紛争地帯などに生まれた子どもは、胎児の頃や赤ちゃんの頃から、ネガティブな思考や言葉や波動を浴び続け、目にするものも耳にするものも、悲劇にあふれています。「ネガティブ」なものに意識や思考を向けると、その現実を強化するから「ポジティブ」なものだけを思い描け、なんて言われても、そういう場所で生きている人たちにとっては極めて困難なことです。

人間は、自分の意思というのは自分でどうにでもできる能力があると思いますが、自分が生きている現実の世界には、他人の意思も関わってくるわけです。その中で、完璧かつ純粋に自分の意思をコントロールし、どんな環境にいようと完璧に「ポジティブ」なものだけを思い描けば「ポジティブ」な現実だけが目の前に現れるのかもしれませんが、たとえ理論的にはそうであっても、悲劇にまみれた場所で暮らしていれば、実際にはほとんど不可能なわけです。

「人間というのは自分を選んで生まれてきたの。だから、戦争などの悲劇にあう小さな子どもは、かわいそうなんじゃなくて、それによって何かを伝えにきたのかもしれない」

というようなのは、自分以外の人間に起こっている悲劇や不幸を放置することにつながる考え方だと思います。

その悲劇の渦中にいないぼくらにできることは小さなことかもしれませんが、悲劇をなくしていくためにできることもあるわけです。武器をつくっている企業の製品を買わないようにしたり、戦争をなくしていくビジョンと能力のある人に選挙で投票したり、奪い合いで戦争の原因になっている資源をなるべく使わない暮らしをしたり、戦争の資金へとお金を回していない金融機関にお金を預けるようにしたり…。日常の暮らしと戦争は結びついているわけです。一人一人の影響は小さなものかもしれませんが、それが合わされば大きな力になるはずです。平和を祈ったり、ポジティブな気持ちでいるのも大事だと思いますが、それだけでは世界を平和にするのは難しいでしょう。お金のため、利権のため、地位のためなどに、他人の命を犠牲にしてでも自分の目的を果たそうと日夜必死になっている人間もいるわけです。そうした人間たちの意思に対抗するには、祈りだけでなく、目に見える物理的な世界での働きかけや行動や言葉も必要なはずです。

この世のネガティブな現実を変えていきたければ、まずはネガティブな現実に目を向ける必要があります。そして、そこでとどまるのではなく、「解決策」に目を向けるのだと、「引き寄せの法則」のエイブラハムも言っていました。解決策に目を向け、ポジティブな世界を思い描き、ポジティブな気持ちで自分にできることを実行に移していけばいいわけです。それなのに、ネガティブな現実に目を向けるのをおそれすぎるから、ネガティブな状況にいる人間を放置しておいたらいいというような考え方が生まれてくるのでしょう。

ネガティブなことに目を向けないようにしているつもりが、他者の意思や思考の巻き添えにあって悲劇的な状況に陥ってしまう可能性もあるわけです。自分自身が幸せで楽しい人生を送るためにも、ポジティブなことだけを思い描いて祈っているだけよりも、ネガティブなことからも目をそらさずに、世界全体をポジティブな方向に向かわせるために自分にできることを実行していくほうが結局はいいのではないかと思います。


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