by 143/365:Diary / cefeida |
誰かに見せることを前提にしていないノートに日記を書くのと、誰でも見る可能性のあるブログに記事を書くのとでは、自ずと書き方が違ってきます。
その違いはいろいろありますが、ぼくが常に意識しているのは、記事の中で少なくとも一つは、読んでくれた方に役立ったり参考になったりする情報を入れる、ということです。誰が読んでも役立つ記事、というのは難しいですが、なるべく多くの人の参考になるような記事にしたいと心掛けています。
ウェブ上には数えきれないくらいのウェブサイトやブログがあります。誰かがたまたまこのブログに辿り着いてくれて、最近に書いた記事5本のタイトルを見て、どれにも興味をひかれなければ、もう自分からすすんで訪れてくれることはないでしょう。そのうちに1本に興味を持って読んでくれて、面白くなければ、もう他の記事は読んでもらえないでしょう。ブログを継続的に読んでもらいたいと思えば、1本1本を大事に書く必要があると思っています。
このブログは、「珍妙雑記帖」という名の通り、雑多ないろいろなことを書いており、テーマとしては、田舎暮らし、自然農、安全な食、生き方・働き方、文章のこと、などが多いですが、定期的に見にきてくれている方がどういうテーマに興味を持ってくれているかはぼくにはあまりわかっていません。何のテーマで書いても、新しく書いた記事へのアクセス数はテーマによる偏りがあまり見られません。そのテーマにもともとたいして関心がない方でも読みやすい記事を書いていきたいと思っています。
それから、自分が本当に書きたいことを書く、というのも大事にしています。そうでなければ、記事に熱がこもらないし、面白い記事が書けません。
ブログで収入を得られるようにしたいとも考えていて、毎日何本も更新しているのは早くその段階に辿り着きたいという思いもありますが、たくさんの量を書いてこそ書けるものがあると感じているからでもあります。このところ、毎日5本を目標にしていますが、毎日1本書くのと5本書くのとでは、日々の自分の頭と心のセンサーの働き方が違ってくるのを感じています。センサーを働かせておくにはエネルギーが必要で、怠け者のぼくは、1本でいいとなると「今日はこれについて書こう」と一つネタが決まれば、センサーをオフにしてしまいがちですが、5本書こうと思うと、朝起きてから寝る直前までセンサーが働きっぱなしになっています。「もう書くことが浮かばない」というところでもう一踏ん張りしてようやく書けることがあり、そういう記事の中には「これが書けてよかった」と自分で思えるものがあるので、やっぱりちょっと無理してでもたくさん書くのは大事だなぁと思います。