自分のことは、自分でよくわかっているようでいて、わかっていなかったりする。
人に言われて気づいたり、自分であるときふと気づいたりすることもある。
自分の性質といったようなものがわかると、すっきりとして、心が軽くなることがある。
最近、この本を読んで、いろいろと腑に落ちるところがあった。
「自分を好きになる技術 人を受けいれる技術」(蓮村誠 著)
著者は、アーユルヴェーダの医学博士で医師である蓮村誠さん。アーユルヴェーダの理論に基づき、人間を18のタイプに分類し、タイプごとの特徴や、得意なこと、不得意なこと、陥りやすいパターン、他のタイプと組み合わさったときに起こりやすいこと、向いている(向いていない)職業、健康で気をつけるべきこと、体質にあった生活スタイル、などを説明している。
たとえば、「火」の要素から成る「堅実性」が強ければ「きちんと派」、弱ければ「だいたい派」に分けられる。チェックリストがあり、自分でも簡易的に診断でき、ぼくはおそらく「だいたい派」だろうと判断した。もっと「きちんと」しなければ、と思うことが多いのだけど、自分が「だいたい派」だとわかると、なんだかすっきりとした。
どのタイプが優れている、というわけではないという。「きっちり派」のほうが「だいたい派」よりも優れているわけではなく、人それぞれの体質で、自分の体質に合った暮らし方や生き方をするのが大事なようだ。「だいたい派」はたとえば、いろんなことを同時に進行していくことが得意らしい。一つのことをずっとやり続けるのではなく、あることをだいたいやってイヤになったら別のことをして、それもだいたいやったらまた別のことをし、気が向いたらまた最初のことの続きをして…というようにしながら、少しずつ全体を終わらせていくほうが無理のないやり方だという。そう言われてみると、身に覚えがある。一つのことをずっとやり続けていると、心身ともに疲れてくる。朝から晩まで、気の向くままにいろんなことをした日は、それぞれが少しずつしか進んでいなかったとしても、なんだか満足感がある。
他にどんなタイプで分類されているかというと、「芸術派 or 現実派」「事後承諾派 or 同意依存派」「三本派 or 県外派」「いつも家族派 or たまに家族派」「ぺらぺら派 or もごもご派」「個人派 or 献身派」「在宅派 or 外出派」「やりたい派 or 知りたい派」となっている。
タイプの名称だけを見ても、よくわからないものもあるし、名称だけで考えると勘違いしてしまいやすそうなものもあるので、自分のタイプを判断するには詳しく知る必要がある。
どっちのほうが優れているか、という世間的な固定観念があるが、どちらかが優れているわけではない、と思うと気が楽になることが多いのではないかと思う。もごもご派がぺらぺら派を目指しても辛いし、たまに家族派がいつも家族と一緒を求められても大変だし、個人派が献身派にあこがれても無理が生じるだろう。
こういう指標がなくても、自分のことをよくわかってそうな人もいるが、自分のことを分析する手がかりとしてとても役立つと思った。就職活動中によくみんながやっている(やるべきとされている)自己分析なんていうのはくだらないと思っていたけれど、この自己分析は面白い。自分のタイプを念頭に置くことで、日々、いろんな発見と気づきが生まれはじめた。