東京でアパート暮らしをしていた頃、手を動かすといえば、パソコンのキーを叩くか、何かのスイッチを押すか、ドアを開け閉めするか、それくらいのものだった(最後の頃は手足を動かしたくなってよく料理をしていたけど)。アパートの近所でレンタル農園の小さな一角を借りて野菜を育て始めた頃、小さな種を蒔こうとして思うように手先が動かず、自分の不器用さに驚いた。
香川で暮らし始めて3年半。野菜の小さな種も難なく蒔けるようになった。
畑仕事を始めて毎日のように鎌で草刈りするようになり、指の関節が目に見えて太くなった。大人になってからでも骨格がそんなに変化するとは知らなかった。毎日の暮らしで体を使っていれば、体は必要に応じて変化していってくれる。
田舎暮らしでは、生活に必要なことだけでも、いろんなことに手を使う。
手で洗濯をしたり(洗濯機は使っていない)、鎌や刈払い機(草刈り機)で庭や田畑の草を刈ったり、ノコギリや金槌で家を直したり家具を使ったり、鏝(こて)で壁を塗ったり。
森林活動では、チェーンソーを使うが、普段、いかに腕を使わない暮らしをしているかを思い知らされる。家の暮らしでは手先は使うけれど、腕の筋肉を鍛えるような動きはあまりしない。久しぶりに森へ行くと、チェーンソーがやけに重たく感じられる。
東京の暮らしでは手や腕を痛めた記憶はないけれど、香川の暮らしでは手や腕を日々酷使するので、無理をして痛めてしまうことがよくある。鎌で草刈りをし過ぎて腕を痛めたとき、料理をするにも同じところが痛むことがあり、作業は違えど体は同じような動きをしているものだと知らされる。
ぼくが次々に手でいろんな道具を使っているのを見て相方が面白がっていた。チェーンソーや鎌を持っていたかと思えば、鑿(のみ)でしゃもじをつくり、絵筆を握って蝶の絵付けをし、ペンやキーボードで文章を書き、日が暮れるとふらふらになりながらギターに持ちかえる。
道具の使い方は手が覚えているが、しばらく使わないと忘れてしまう。冬の間は鎌をあまり使わないので、春になって急に草刈りをがんばり始めると、力の入れどころを忘れていて手を痛めてしまうことがある。楽器の使い方を忘れるのはもっと早い。普段の暮らしでは使わないような微妙な動きが必要だからだろう。ギターにしてもピアノにしても、数日弾かないだけで手がずいぶんなまってしまう。どれもなまらせないようにしようと思ったら、一日にやることがありすぎて大変なことになる。どれか一つに絞れば技術的にはもっと上達するのかもしれないけれど、やりたいことが多いのだから仕方がない。
それにしても、田舎暮らしで長年手を使ってきた方たちは、手の造りが違う。ゴツゴツしていて力強く、サイズが大きくても小さなものを繊細に扱う器用さを兼ね備えている。ちょっとくらい無理をかけてもへこたれそうにない。
ぼくの手はまだ田舎暮らし初心者の手だけど、少しずつ鍛えていきたいと思っている。
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by 硲 允(about me)
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