何かについて学びたいとき、本屋に行くと同じテーマの本が山のように並んでいる。
その中からどれを選ぶかは、みんなどうやって決めているのだろう?
ぼくはたいてい、なるべく信頼できそうで人柄がよさそうな方が書いた本を選ぶ。そういう本は、読んでいて気持ちがいいし、買ったけれど読まずにムダにしてしまうことが少ない。
書かれている情報がいくら参考になりそうでも、書いた人物(書いているときの気持ち)に共感できない本は、読んでいて不快だし、最後まで読む気になれないことが多い。
何年か前、文学に夢中になっていた頃、仕事仲間がIT関係の本を貸してくれたが、読んでいて吐き気がしてきて読み続けられなかったことがあった。書かれている内容は、ITに関する具体的なことで、書き手の意見や感情についての直接的な記述はあまりない本だったと記憶しているが、書きながら込められた気持ち(「こんなことも知ってるんだぞ!」とか「こんなことを知っているオレを認めてくれ」とか?)に耐えられなかったのだろう。
同じようなことが書かれていても、読んでいて不快になる本と、気持ちよく読めて元気が出てくる本がある。
読書は、その文書を書いた本人が目の前に現れるわけではないが、講演を聞いたり会話をしたりするのと共通するところがある。不快な話を長々と聞かされたり、不快な話ばかりする相手と長時間会話をしていると疲れてくる。読書の場合、相手の顔が見えないし、文章も編集者によって編集されて書き手の生の声が薄められたり変更を加えられたりしていることが多く、発信者による威圧感が和らいで、自分の領域を浸食される感じが薄れるが、誰かが発信したものを受け取っていることには変わりない。
不必要なものを、不快な方法で受け取るのは最悪のパターン。自分が本当に必要なものを見定め、心地よく、自分のエネルギーが高まるような方法で得ることを心がけたい。
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by 硲 允(about me)
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