日本の結婚式というのは不思議な慣習だと思う(海外のことは知らないけれど)。
キリスト教式では、普段キリスト教を信仰していなくても、謎の神父さん(アルバイトっぽいこともある)に愛を誓わされ、祝福される。
新婦の父親が新郎に新婦を引き渡す場面は、未だに奴隷時代かいな、と、うら悲しくなる。人間をモノのように扱うのは見ていられない。そういう昔からの形式を踏襲しているだけで、本人たちはそういう気持ちは無い場合は多いだろうけれど、自分で意味を考えて形式を決めるのではなく、誰か昔の人たちが決めた形式に従わされるというのは、二人の新たな門出にふさわしいことだろうか。そもそも、伝統や文化とかいっても、その歴史はたかだかしれたものだろう。伝統や文化は守るべきものだとはなから決め込んでいる人も多いようだけど、自分がよしとしない伝統や文化は無視するか破壊していけばいいと思う。
結婚式の出席者は普通、お祝儀を持っていくもので、結構な金額が標準化されているわけだけど、あれだけのお祝儀をもらっても、新郎新婦は結婚式の費用をとうていまかなえず、新たな門出でさっそく大金を失うというのも、どうかと思う。ゼクシィ結婚トレンド調査2019によると、料理や飲物代は平均1万9000円、引出物などのギフト代は平均6800円の費用がかかっているというが、おそらくそれは新郎新婦が支払うコストで、原価はもっと安いはず。料理屋に行って食べたとして、1万9000円も払って納得できる料理が提供されたことがないし、よくあるギフトカタログを考えても、普通に買えば6,800円もしなさそうなものが並んでいる。結局、結婚式業者が儲かる仕組みになっているわけだ。とりすぎやろ、という感じがする。人生における大きな儀式ということで、値段が高くてもがんばって払うだろうし、高いほうがある意味ありがたがる(ブランド品と一緒か…)、ということで、なめられているのだろう。ランドセルと一緒か…。
さすがに業者主導の結婚式にうんざりしてきた人も増えてきたのか、最近は、もっと手づくりの結婚式も増えてきたように思う。友人が知り合いが経営しているレストランやホテルを会場にしたり、友人に料理や衣装をつくってもらったり、司会も友人に頼んだり。式場では音楽ですら自由にならないこともあるようだけど、自分でオーガナイズすれば、何をして何をしないか、自分でしっくりくるように決められるし、全体的なコストも抑えられる。ただ、そのためには時間とエネルギーと、協力してくれる仲間も必要になる。仕事でいそがしくて、そんな余裕はない、という場合、手っ取り早く、ひとまずカタチだけでも、ということで、お金を頼りに、どこかの業者に丸投げする(ちょっとしたオプションはあるにしても)ことになるのだろう。
大事なことを大事にできない世の中は危うい。大事なことをじっくり考えて、自分の心に沿うように自分でつくったり選択したりできない暮らしでは、儲け主義のいろんな都合に流され、左右され、いつの間にか自分の本当の望みすら見失ってしまうおそれがある。
そういえば、結婚式があるのに離婚式というのは無いなぁと思ったことがあるけど、同じことを考えた方が、離婚式をコーディネートする仕事をされているという話をこの間ラジオで聞いた。
世の中、喜劇に満ちあふれているが、悲劇はできることなら食い止めたいものだと思う。
by 硲 允(about me)