「ファン心」を自分の燃料にしたい。スピッツのライブ「醒めない」へ行ったときのこと



先日、スピッツのライブツアー「醒めない」で松山へ行ってきた。

早めに会場につくと、既に人の列ができていた。どうやらグッズの販売開始を待つ列のようだ。まだ販売開始まで何時間もありそうだった。昔、「ファイナルファンタジー」というゲームが好きで、発売日に買えるように予約し、当日必ず買えることがわかっているのに早朝から発売時間前にコンビニで待機していたのを思い出した。

「(誰かに熱狂する気持ちを)自分の燃料にせななぁ」というようなことを相方が言った。ぼくは学生の頃、毎日、毎晩のようにスピッツを聴き続け、どちらかというと消費するばかりで自分の燃料にできている感じではなかった。曲を聴いて元気をもらったり気分がよくなったり、ということはあるが、曲の世界に浸り続けてしまい、自分の活動が疎かになっていた。

最近になってようやく、スピッツの曲にしても何にしても、消費したりそこに埋没するのではなく、自分の活動の燃料とするつき合い方ができるようになってきた気がする。

スピッツの新しいアルバム(最近では「醒めない」や「小さな生き物」)が発売されると、CDを買って、歌詞カードを見ながらじっくりと聴く。バックミュージックで聞くのは失礼な気がするので、他のことはせず、精神を集中させて一曲一曲と向き合う。アルバムの最初から最後まで真剣に聴くと、頭の中はスピッツの世界になる。この世界はクセになる心地よさがあるが、そこに浸りっぱなしだと、自分の活動に向ける時間がなくなってしまうので、自粛している。


小さな生き物


醒めない(通常盤)


ライブ会場(松山市民会館)の近くの広場のベンチに座り、「ぼくも昔は熱狂的なファンやったなぁ」などと言いながらおむすびを食べていると、窓に黒いシートを貼って中を見えなくしてあるバンが横の道路を走ってくるのが見えた。

「あれ、スピッツの車ちがうん?」とぼくは言った。前に行ったことのあるライブでも、メンバーがこういう車に乗って移動していた。

「せっかくやから入るところ見てきたら?」と相方に言われ、ぼくは気がつくとおむすびを持ったまま走り出していた。

楽屋への入口の真ん前に車は停まった。ぼくはあまり近づかず、メンバーが車から降りて楽屋に入る後ろ姿を遠くから見届けた。相変わらず熱狂的なファンだった。



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