人間にも個性やその人らしさといったものが、一人ひとりから感じられるように、野菜にも個性やその野菜独特の性質が感じられる。
ある農家さんが育てた野菜を見て、清潔感があると感じた。販売されているような野菜はどれも泥を丁寧に洗い落としていることが多く、泥つきのものを不潔だとも思わないのだけど、丁寧に育てられ、無肥料だったり堆肥にもこだわったりして、袋に入れてお店に持っていくまでの過程でも大事に扱われているような野菜には、それなりの清浄さというようなものが感じられる。
相方もその野菜を見て、同じように感じたようだった。二人の感覚は、だいたい一致する。ひねている野菜、すねている野菜、うれしそうな野菜など、野菜にはそれぞれ、表情がある。
そういうことを言う人にあまり出くわさないのだけど、先日、服部みれいさんの「SELF CLEANING BOOK あたらしい自分になる本」を読んでいると、同じような話が書かれていた。
なんか、その野菜のもつ雰囲気、みたいなものってあるんだよね。その雰囲気って、つくり手の雰囲気ってことなんだと思う。つくり手のムードみたいなものが、野菜にのりうつっているんだよね。(p. 83)
まさに、そういう感じ。野菜は、つくった人に似ている。野菜に限らず、つくられたものは、つくった人に似ている。おおらかな人がつくった野菜は、姿かたちや味もおおらかだと感じる。
自分が育てた野菜は他の人からどう見えるのだろう? 自分自身のことは案外見えづらいのは、自分が育てた野菜にもいえるかもしれない。